1-1
その日のプロンテラは晴れていた。
天の高いところに流れる白い雲をいくつか乗せただけの、あまりに青い爽快な空が広がっていた。教会の薄暗い部屋から出てきたばかりのツイードは、出口の扉を後ろ手に閉め、眩しい空に眼を細める。今日もいい天気だ。けれど首都を慌ただしく歩いていく人々の中で、空を仰ぐ者は自分以外いないようだった。ここは、そういう街だ。
すっかり遅くなってしまった時間をぼんやりと意識しながらも、特に急ぐ気にもなれず、いつもの歩調でツイードは歩き出す。職業ギルドにプリーストとしての籍はあるものの、教会での役職もない自分のような冒険者は、狩りに出かけなければその日の収入は皆無だ。なので渋々、自分と同じ境遇の冒険者たちとパーティーを組み、しがない金を稼ぐ毎日となる。とは言え、一日を逃せばただちに資金が底を尽きる火の車みたいな家計をしていないものだから、感覚としては本当に、日々の狩りはただ惰性のように出かけているにすぎない。
『若くて守る物もない内から、冒険を躊躇ってどうする』と年上のプリーストに言われたことはあるが、その理屈はいっそ逆だとツイードが思う。守る物があるのなら、自分だって今よりは必死に生き急いだだろう。
熱血、共同体感覚、そういうものは少し前のトレンドだ。冒険者ギルド設立前後の彼らは、時代の流れと勢いの力でそれらを形と成しただろうが、自分たちのようにノービス時代には既に職業カタログを眺めながら育った世代は、個人主義の傾向が顕著だ。真面目に命を削っていくよりは、もう少し賢く死にたい。
もちろん、ツイードは自分のそういう性格を時代のせいだとは思わない。ただ、客観的に自堕落だなと思う。あえて悪事に手を染めるだとか、投げやりでお座なりに生きるだとか、そういう事は好きじゃない。けれど、自分は全然真面目じゃない。それをちっとも悪いと思っていないふてぶてしさが自分の中にはある。そういうものを自堕落だな、と思う。
幸い首都には、そういう若くして既に自堕落な冒険者たちが、いつのまにか集まる場所がいくつかあった。
ツイードが向かっているのはその内のひとつ、外周西あたりにある溜まり場だ。だいたい朝の遅い時間帯には顔なじみの連中が集まって、その日限りのパーティーを組み、適当なダンジョンへと狩りに向かう。そのパーティーに支援プリーストとして同行するのがツイードの最近のルーティンだった。
決して、これが正攻法の生き方だとは思わない。けれど、首都は王道以外の亜流や例外であふれかえっている。プロンテラなんていうのは雑踏だ。行き交う人々の身分や職業があまりにもバラバラなのに、なにもかも全てがないまぜになって、ワゴンセールのように無造作に売られている。そのぐしゃぐしゃの山の中で、ひっそりと居直っているのが、自分のような冒険者だ、とツイードは思っていた。
1-2
せっかく到着した溜まり場には、いつものような賑わいはなかった。
壁沿いの石段に軽く腰掛ける人影が一つあるだけで、他の冒険者の姿はない。
浅い空色の髪を短く切り込んだアサシン。あれは溜まり場の常連の一人、スルガだろうとツイードは検討を付ける。彼は立ち姿がきれいだからすぐに分かる。
向こうもこちらに気づいたようで、自然と目があった。
「ちわ」
歩いて近づいていく間ずっと視線が合っていたので、あらためて挨拶をするのも変かとも思ったが、とりあえずツイードは声を出す。
「どうも」
スルガはいつも通りの、気さくな笑顔を浮かべていた。
(なんだ……?)
彼と二人きりで会うのは初めてだったが、不思議な違和感があった。
慣れない空気にスルガがそわついている気がする。どうでもいい溜まり場のどうでもいい冒険者である自分たちに、こんな慎重な人間関係を取る必要なんてない。
スルガは、ツイードと違うグループの人間に誘われてこの溜まり場に来たアサシンだった。狩りの腕は確かなのに仲間内ではいじられがちなポジションなのが妙だと初めは思ったが、さっぱりとした端正な顔立ちとは裏腹に、口を開けばどこか抜けている話し方をする男で、周囲の人間の扱いにも納得した。
スルガが自分に対してこういう態度を取る理由が、ツイードには思い当たらない。一対一が苦手なタイプなのだろうか、と彼の顔を眺めながら思う。
スルガは、目をそらさないまま、おずおずと口ごもる。
「えっと……」
(そういえば、他の連中は?)
ここに来たのはいつもより遅い時間だった。単純に起きるのが遅かったのもあるし、書類を届けるのに教会へ寄ったせいでもある。
他の冒険者は、適当にパーティーを組んでとっくに狩りに出かけてしまったのだろうと考えれば不思議はないが、となると、何故この男がここに一人でいるのかという疑問が残る。考えられる可能性としては、自分と同様の遅刻か、今日という労働の何もかもが面倒になって放棄したかぐらいである。
もともと、ギルドや固定パーティーに所属していない自由きままな――どちらかと言えば社会的にダメな――人間の溜まり場だ。集まる顔ぶれはだいたい決まっているものの日によってバラバラで、その日集まった人間がその場のノリだけでパーティーを組み、そのまま宛てもなく狩りにいってしまうような感じだったから、彼は自分と同じように置いていかれたんだろうとツイードは思った。
「寝坊です?」
ツイードはスルガにならって石段に腰かけつつ話しかける。外壁のあたりがちょうどいい位置にある椅子のような造りになっていて、そこに座るのがこの溜まり場の通例になっていた。
「え? 俺ですか?」
「一人でいるから。ちなみに、俺は寝坊です」
「え、マジですか。仕事かと」
「仕事もしたんだけど、寝坊もしたんですよねぇ」
ツイードが空を見上げて呟けば、スルガがあははと破顔した。
「ツードさんも寝坊とかするんだ」
「じゃあスルガさんは仕事です?」
「あ、俺は仕事も寝坊もしてなくて……」
「へえ?」
そういえばスルガとは、話をすること自体、久しぶりなんじゃないか。親しいグループの人間にからかわれて大騒ぎしている彼を見慣れているせいで、今いくぶんか落ち着いて話すスルガの姿がツイードには目新しく映る。
「ツードさんが遅れて来るのって珍しいですね」
「あー、そうかな。寝坊だけならそのまま寝ちゃって、外に出ないですね。今日は教会に用事あったんで。この時間じゃあ誰もいないだろうなぁとは思ったんですけど」
他に行くとこもないし、と付け加えた後で、やはり自分はなんて暇人なんだろうと思う。
「昨日もですか?」
「へ?」
問いの意味が分からず、ツイードは聞き返した。
「や、会えなかったから、昨日も」
そうだったか、と記憶を巡らせてみる。そういえば、会わなかったかもしれない。
「いや、ここには来ましたよ、俺。昨日は……、オーフェンとマシュさん達とかで行ったかな。打ち上げ行かずに、途中で抜けましたけど」
言うと、スルガはどこか遠く上空のほうを眺めながら、
「じゃあ入れ違いかなぁ」
と呟いた。
「えっと……?」
ツイードが言葉を繋ぐのに困っていると、スルガが意を決したように、よし、と小さく両こぶしをにぎってから、強い目つきでこちらへ視線を向けた。
「あの、……今日、暇ですか」
「あ?」
今からでもいい用事だったのか、と思いながら、ツイードが答える。
「すっげー暇です。見てのとおり」
狩りの誘いか何かだろうかとも考えたが、スルガの態度がどうにもおかしい。
まあ、正直に言ってしまえば、何かが始まることには、気づいていた。けれどそれは、何かとんでもなく面倒事の始まりのようでもあって、できるなら、知らぬ顔をしてやり過ごしたかった。
「えーっと。実は今日、……昨日もなんですけど、俺、ツードさん待ってて」
「俺を?」
「ええ。で、もしよければ、二人でルティエまで狩りに行きませんか。ちょっと話があるんで……」
用意してきたセリフのように、スルガは一息でそう言った。
狩りの誘いひとつで、ここまでかしこまるのはおかしい。
「なんですか、急にあらたまって……」
しかも、提案された街はルティエだ。クリスマスシーズンならともかく、今のルティエはどう考えても季節はずれだ。イベント特化のあの街は、ダンジョンだってファンシーなだけで、効率重視の狩り目的でもないだろうし。あんなカラフルな雪の街に、こんな時期に行くのは子連れかカップルだけだろう。
だから、ツイードは、言ったのだ。念押しの意味を込めはしたが、冗談のていを崩さなかった。
「まさか、告白とかじゃあないでしょうね?」
笑ってくれれば、自分も笑い飛ばすだけで済むことだったはずが、ぴくっと、スルガの肩が動いた。
「…………」
それきり、彼は半笑いのまま視線をそらして、黙ってしまった。
(そんな馬鹿な)
驚いたのはツイードだ。
というか、図星ですと言わんばかりの反応のまま、こちらにボールを渡されても困る。冗談じゃない。待ってくれ、何に巻き込んでくれているんだ。こんなのは一次職のあいだだけで十分だ。
「スルガさん?」
呼びかけると、彼は気まずそうに視線を泳がせた。
「あの、えっと…」
アハハ、とカラ笑いをして、彼は何もごまかせていない何かをごまかす。
(下手くそか)
なんなんだろう、このアサシンは。
今日は朝から教会で腹の読み合いばかりしてきたせいか、愚鈍なまでのフォロー力のなさが手に取るように分かるこのコミュニケーションには、いっそ楽で好感が持てた。
が、楽に腹が読めたからといって、それを楽に扱えるわけじゃない。
ツイードは、彼がたじろぐのが分かっていながらも、言葉を続けた。
「俺、男はちょっと経験がなくて……」
「あ、そ、そうなんですね」
「ってか、そういう風に見えちゃってます?」
ほんの少し、わざと困ったような顔をして見せただけで、スルガは案の定、途端に慌てだす。
「あ、や、そういうんじゃ、全然ないです。見えてたとかじゃ。合わない人も、もちろんいるとは思うんで……」
彼の声はどんどん小さくなっていって、最後のほうは消えてしまいそうだった。
少しからかいすぎたか。
ツイードは確かに男性経験はないが、根っからのヘテロセクシャルというわけでもない。いや、自分の性嗜好に関してそこまでしっかりとした指針を持っていない、という方が正しい。そもそも人生に対してすら、なにも明確な指針はない。
付き合う気だって毛頭ないが、誰かに好かれているのだって満更でもない。
今まで関係を持った人たちのことを思い返してみても、こんな顔を赤らめて好意を告げられてから始まった関係は思い至らなかった。そういえば、どの彼女とも告白らしい告白や、恋愛らしい恋愛なんてしていなかった。そういう流れになって、嫌悪感がない相手だったら、他に条件もなく寝ていた気がする。
(消去法みたいな感情しかねぇな……)
自分の雑な人生に対して軽い虚無感を覚える。
なんて愚にもつかない選択と経験だろう。
自分の過去のそんなものに比べれば、やり方は稚拙であるが、スルガのこの出方のほうが余程まっとうに思えてきた。
視線を逸らしているスルガは、赤い耳を見せたまま黙っている。
背筋が良いわけでもないのに――むしろ今なんかは肩を少し丸めてさえいるのに、彼の立ち姿はいつもきれいで不思議だ。
街中に居るのに、ダンジョンに居るときの姿勢とあまり違いがないように思える。おそらくそれは、今どの方向から何が来ても、彼が瞬時に戦闘体勢へと移行できるという事なんだろう。会話は隙だらけなのに、身体に隙がない。奇妙なアサシンだ、スルガは。
今、そんなアサシンが、自分に伺いを立てている。動物的な意味での命の権利を持っているのは、プリーストの自分ではなく、アサシンの彼であるはずなのに。その彼を生かすも殺すも自分次第のような選択が、突然、自分の手の中にある。
おかしな高揚感だった。
「じゃあ行きましょうか」
しばらくの間、無言になって、けれどもその沈黙が長引かないうちに、ツイードは腰をあげる。
「へ??」
見るからに、しょんぼりと座っていたスルガが、口をぽかんと開けたままツイードを見上げた。
「ルティエですよ」
行かないんですかと聞いてはみたものの、スルガが了承する前に、ツイードはワープポータルの詠唱を始めたのだった。