微力(6)

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4

 

「あれ、スルガさん一人じゃん」

 スルガが昼過ぎのたまり場でいつもの石段に腰かけていると、そこにやって来たのはマシューとオーフェンだった。二人はこのたまり場では有名なハンターとプリーストのコンビだ。

「ちわ」

「ちわーっス」

 スルガがまだたまり場の新参だったころ、既にその時は常連だった彼らがよく狩りへと誘ってくれたから、二人には何となく恩がある。

 カラーサングラスの似合うハンター、マシューは、誰にでも気さくで面倒見の良い性格の男だった。それと対照的なのが隣にいる背の高い緑髪のプリースト、オーフェンで、彼はいつもマシューの横で、冷静な面持ちのままその様子を眺めている。

 スルガはここに来るようになってから彼らと知り合ったが、そもそもこの辺りでたむろしている冒険者連中でパーティーを組んだり狩りに出かけたりする今のスタイルを作ったのは、この二人だったらしいというのは知人から聞き及んでいた。どうも彼らは付き合いの長い相方のようで、いつでも二人でいるのを見かける。

 

「たぶん、今日はもう来ませんよ」

 突然、オーフェンが口を開いた。

「え?」

 スルガが彼を見ると、あくまで表情を変えず落ち着いた調子でオーフェンが言う。

「ツードでしょ」

「あ~、昨日、俺ら完徹しちゃって」

 マシューが照れたように頭の後ろに手をやった。

「え、そうなんです? お疲れさまです」

「あはは! いや、狩りじゃないですよ、ポーカーですって」

「あ、ポーカー」

「打ち上げの後、俺らの部屋でやることになってさ。もう大乱闘。寝るに眠れぬ大勝負ですよ」

 俺は結局負けたけど、とマシューが笑い、大負けだったな、とオーフェンがそれに付け足した。

「あはは、楽しそうっスね」

「今度スルガさんも来なよ、盛り上がりますよ、ツードも喜ぶし」

「え」

 目の前の二人がポーカーをする姿を思い浮かべていたスルガは、突然出されたツイードの名前を聞いて思考が止まる。そうか、その席に彼はいたのか。トランプ数枚を手に持ってカードをテーブルに投げるツイードの様子が、ありありとスルガの脳に浮かんだ。

 見たい。

 けれど、自分がそこに混ざったとして、それを喜ぶツイード――という構図は、上手く想像できなかった。

「……いや、喜ぶかな」

「あれ。喜ばない?」

 スルガのあげた疑問の声に、はたと気づいてマシューがオーフェンを見上げる。

「さあ」

 オーフェンは相方の視線に小首を傾げるだけだ。マシューは顎に手をやる。

「そういや、喜んでるとこ、見たことねえな?」

「見たことないは言い過ぎだろ」

「だって、アイツ昨日負けてなかったよな? 喜んでた? 素面みたいな顔してたけど」

 表情の薄い人だからな、とスルガはツイードの伏せられがちな目を思い出す。きっとゲーム中はあまり大きな動きもせず、視線だけで場の様子を伺うに違いない。まるでいつもの酒場での彼みたいに。

 そういう勝負がツイードにはとてもよく似合う。

 思い浮かべつつ、スルガは尋ねた。

「ポーカー強いんです?」

「え、俺?」

 マシューは自分を指さして驚いたが、隣から「馬鹿、ツードだよ」と小突かれて、「あ、ツードか」と照れて笑った。

「強いかな? 普通? 弱くはないけど、そんなエグくはないですね。アイツはねーコイツと違って、腹黒ムッツリどスケベ鬼畜プリーストじゃないんで」

「連敗中なんですコイツ」

 情報を補足するオーフェンに、マシューは遮って言う。

「だーッ、俺はロマンに賭けたんだよ、お前は人の心を捨ててたけど。でも結局ツードみたいなさぁ、ああいう安牌で絶対負けないやり方のやつが、トータルで一番損しないよなぁ」

「まあ」

 ツードだからな、とオーフェンは一言つぶやいて、「まあな」とマシューが相槌を打つ。それから余りにもその結論がしっくりと来過ぎて、言葉は一旦なくなった。

 案外、危険な手を使わないんだな、とスルガは思う。たぶん、ツイードがもっとリスキーな手でハイリターンを得る狂人プレースタイルだと聞かされても、スルガはそこまで驚かなかった。逆に今とことん無難を好む、と聞かされているが、それはそれで納得できるから彼の性格の輪郭は曖昧模糊としている。

 この人たちの間でも、ツイードはそうなのだろうか。

 仲間にも他人にも裏表がない性格だと思うけれど、裏を見ても表を見ても彼の真意が掴めない。

 

 スルガがしばらく黙っていると、マシューが「まあ」と話を戻した。

「というわけだから、アイツ、たぶん朝に帰って爆睡してますよ。だいぶ眠そうだったし。今日は来ないかも」

 ツイードの『爆睡』を想像するのが難しい。でも彼はいつもどことなく眠たそうな顔をしている。

「ツードさん来ない日って、そういう日だったんですね」

「アイツ、わりと寝坊とかであっさり休みますよね」

「あー…」

 それは、本人も言っていた気がする。

 

(基本的に、嘘はつかないんだよなぁ)

 

 ツイードの言葉は、だいたい事実と矛盾がないんだな、という統計が最近スルガの中で取れてきている。自分のほうが勝手に別の解釈をしている勘違いはあるけれど、明らかな虚偽申告は今のところひとつもない。

 過去のツイードの発言をぼんやり思い返していると、マシューがスルガの顔を覗き込んだ。

 

「っていうか、スルガさん、ずっと待ってました? 約束とかしてないんです?」

 ツイードと、と彼は尋ねるので、スルガは首を振る。

「あ、今日は別に」

「いつもはどこで?」

「……え、どこっていうか、ここで会いますけど、……特に約束してないですね」

 スルガが答えると、マシューは不思議そうな顔をした。

「え、デートも?」

「……いやあ」

「狩りも?」

「ここで会うし……」

「マジで!? 会わないときどうするんですか!?」

「まあ、今日みたいに、待つとか……」

「えええ!?」

 マシューの声は次第に大きくなり、最後には叫んでいるようになった。

「待ち合わせしろよ! アイツ何やってんの?」

 彼はオーフェンを見上げて何かを訴えようとしたが、相方はどこまでも冷静に、そして窘めるように諭して聞かせる。

「そんなのそれぞれ勝手だろ」

「いやぁ! スルガさん待ってんだよ!?」

 二人のやり取りになんだか申し訳なくなり、スルガは割り入って彼らを止めた。

「あ、いや、俺マジで勝手に待ってるだけで、別にほんとそれだけなんで」

「だって今日も……、え、いつから?」

「……朝から」

「けなげすぎねえ!?」

「そ、そうですか? 別にやる事ないんで…」

「いや、ここにいたって余計にやる事ないでしょ」

「まあ、どこにいてもやる事はないんで…」

「?」

「??」

 マシューが眉を寄せたまま意味が分からないような顔をするから、スルガもスルガで考えが混乱してくる。

 どうしてだか、話に齟齬が生まれている気がするが、自分たちがどこに躓いているのか分からない。

 目を合わせたままパチパチ瞬きをしていると、オーフェンが「いい加減にしろ」と、マシューのフードを引っ張った。

「おい。人の事情にあんま口挟むな」

「だってさ」

 マシューはオーフェンを振り返り、やがてスルガのほうを向き直り、何度か顔を見比べながら、諦めたように「はあ」と大きくため息をついた。

 

「……俺、なんかスルガさんに幸せになってほしくなってきた」

 

 マシューの言わんとしている言葉の意味がスルガには分からない。

 たまり場を介しての知り合いでしかなかったツイードと、話せて、付き合えて、一緒に飲み食いしたり、夜にデートできたりする今のこのポジションは、スルガにとって思い描いていた理想に近い関係だ。

「えーっと……」

 マシューの、なぜか親愛と同情が入り混じった瞳を、スルガは両手で制しながら、『本当にどういった誤解なんだろうこれは』と二人の顔を眺める。

 

「いや、今けっこう幸せですけど、俺……」

 

 

 

 

 

5-1

 

 その日の狩りはゲフェンだった。戦闘は万事滞りなく、無事プロンテラに戻ってきた頃には夕暮れで、空がクリーム色から紺色へと変わってきていた。

 ツイードは聖水やらブルージェムストーンやらの消耗品が多く、その書き出しにけっこう時間を食った。結局、清算係のブラックスミスのところに向かったのは最後の方になってしまったのだった。

 

「はい、配当」

 ツイードの渡したメモにさっと目を通しただけで即座に金勘定が終わったらしいブラックスミス、ビジャックの手から清算分配を受け取って、その日の仕事はあっけなく終わる。

 計算速度のあまりの速さに、確認する気も起きない。こういうのは頭のいい奴に任せておけばいいというのがツイードのスタンスだ。顔見知りに会計を預けるのは何といっても安全だし、多少計算ミスがあったところでそれも手数料だと思えた。

「お疲れ様でーす」

 軽く挨拶して、袋を法衣の内側にしまう。

 さて、と振り返ってたまり場に改めて目をやれば、こちらの様子を伺っていたらしいスルガが、何か言いたげな顔で近づいてくるのが見えた。

 

「あの、」

 はい、と答えてツイードは立ち止まる。

 おそらく、彼は今日も、自分を食事に誘うつもりなのだろう。スルガと付き合いだしてから、狩りの終わりはこうやって話しかけられることが増えた。

 

 もともと、このたまり場では、その日のパーティーのメンバーで夕食がてら打ち上げをすることが結構な頻度であった。ツイードはそれにまあまあの出席率で参加していたから、ほぼ毎回出席のスルガとは、そこそこに同じ場所で酒を飲んでいたと思う。

 ただそれも偶然の域を出ないイベントであることを向こうも自覚しているのだろう。自分の恋人になったスルガは、狩りの終わりにこうやって律義に飲み会の勧誘をしてくるようになった。

 

 そのこと自体に不満はない。

 この間も、夜に散歩のような行為をしたが、それも思いがけず楽しめた気がする。

 ただ、それとは別に、最近になってツイードはこの付き合いがわずらわしくなってきているところがあった。

 

「この後、飯とかどうですか」

 

 おずおずと尋ねるスルガをツイードは少し引いた視線を眺めてみる。

 彼はこちらの清算が終わるのを待っていたのだろう。

 スルガの背後には、同じく、飲み会へ行くための足を止めているらしい他のたまり場のメンバーの姿があった。

 そういう状況のとき、彼らの目はいつも期待に満ちている。

 それは、ツイードが飲み会へ参加するかどうかへの期待ではなく、スルガが恋人の勧誘に成功するかどうかの行く末を気にしている眼差しだ。

 狩りの後、スルガが自分を食事に誘うとき、いつも仲間たちの視線が後ろにあった。

 

(こういうの、めんどくせえな)

 

 囃し立てられることよりも、じっと見守られているほうが、わずらわしさを覚えるのはどうしてだろう。やめろ、散れ、と声を掛けられないだろうか。彼らの視線を拒否する権利が、スルガにはあって、ツイードにはない。 

 どうして自分たちの関係には、いつも周囲の視線があるのか。まるで、観客のために演じている舞台みたいだ。

 

(俺を飯に誘いたいって情報が、俺より先に他人に知れ渡ってるって、どんな状況だよ)

 

「ツードさん?」

 スルガの呼びかけに、我に返る。

「あ、すみません」

 それに反射的に答えて、ツイードは改めてスルガの目を見た。

 スルガの瞳は、彼の髪の毛のような空色に少しだけ黄味が混ざった不思議な緑色をしていて、虹彩は薄く透けている。この眼に真正面から見られることに、最近は慣れてきたばかりなのに。

 

「あー、いや、今日はちょっと予定が。やめときます」

 返事を聞いたスルガが、目に見えて縮んでいく例のあれをやってみせる。肩を落としても背が伸びている感じは、何度みても興味深い。

 自分のことで一喜一憂するスルガを見ていると、悪いことをしたかな、とツイードの罪悪感はちくりと痛んだ。

 けれど背後の冒険者たちがまたちらっと見えて、それにどうしても自分の判断を変える気にはなれない。

 

「すみませんね、待っててもらったのに」

「あ、いえ、どうせいつもの飲み会なんで」

「また次、参加しますね」

「はい、また、次に…」

 そう言い終わったものの、スルガは数秒、止まったままだった。

「……」

 スルガの視線が、床を這う。

 それを見ていると、面倒なのともわずらわしいのとも違う、形容しがたい苦みのようなものがツイードの胸にこみあげてきた。

 

「あー、用事、すぐ終わることには、終わるんですけど…」

 口からこぼれ始めた自分の言葉に、ツイードは不可解な気持ちになる。

「いや、やっぱでも、遅くなるかもなんで…。なんていうか、」

 顔を上げたスルガが少し意外そうな顔をしていて、ツイードは自分でもこれは自分らしくない態度だなと思った。

「待たせても悪いし、飯は一人で食いますね」

「そう、ですか」

「……、また、行きましょうね」

「はい……」

「じゃあ」

 スルガの視線がいたたまれず、ツイードは踵を返した。

 

 自分は何をやっているんだろう。

 歩き始めたツイードの背後から、仲間たちの「なんだよースルガー」という声が聞こえてきて、余計に、頭の中に靄がかかる。

 

(なんだよ、これ)

 

 自分は、振り回されている。

 けれど、それ以上に、自分が彼を振り回していることの方が大きいんだろう。

 なんだか、悪いのは自分ばかりみたいだ。

 釈然としない感情が、だんだんとイガイガした怒りに代わってきている。

 

 フェアじゃない、と気持ちでは思うのに、きっと一番フェアじゃなかったのは、あのとき好奇心だけで彼の好意に乗った自分だ、と気づいているから、理屈の操作ができないんだろう。

 結局のところ、『そもそも付き合っている自分が悪い』という極端な発想でしか、折り合いがつけられない。

 

(なら、さっさと別れるのが道理だろ)

 

 いい加減で場当たり的な関係を、妥協的に続けたくない。

 どうしてこんな投げやりな気持ちになるんだろう。

 後ろからスルガの視線を感じたけれど、振り返らないまま、ツイードはたまり場を後にした。

 

 

 

 

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