『ナイトのレニ』が加入する事について

 

 レニは正直、今日が約束の日だということを、すっかり忘れていた。
 だからぼんやりと宿でコーヒーを飲んでいた昼下がり、イアーゼが「待たせたな」と自分のテーブルにやって来たとき、何のことだか分からなさ過ぎて、芝居か何かなのかと疑ったほどだ。面倒くさい奴らから逃げるために、騎士と待ち合わせしていたていにする――だとか、そういった感じの事情で、自分は話を合わせるべきなのかと一瞬、周囲をうかがった。(どうしてかは謎だが、ギルドマスターのイアーゼは、無礼な輩にやたらと喧嘩を売られている。童顔で、背が低いからかな、とレニは考えている。)

 

 しかしイアーゼの後ろにいたのは、背の高い緑髪のプリーストで、その男はイアーゼと同じ匂いのする冷静そうな表情をしていた。
「ヴィアのサブマスター、オーフェンだ」
 イアーゼからそう言われて、レニは心の中で「あ」と真相に気づく。
(やっべ、週明けだった。完全に忘れてた、あぶねー)

 

 ギルド狩りのない週末の休みに、何かできる仕事はないかとずっと探していたレニに、「攻城戦はどうだ」とイアーゼが持ち掛けたのは先週のことだ。同盟ギルドにやっているところがあるから、参加してみるのもいい、とその時は雑談程度の話だった。あの時、イアーゼは確かに「週末は向こうも忙しいだろうから、週明けの昼にでも話を通しておく」と言ったが、それきり進捗の報告はなく、『できたらやる』みたいなことかなとレニは半分流していた。
 しかしどうやらイアーゼは、しっかり約束を覚えており、きちんと話を通してくれたらしい。マメだ。
(マメだからかな)

 

オーフェン、これがうちのレニだ」
 レニの向かいに立ったプリーストの男は「よろしく」と握手を求めてきたので、レニは慌てて立ち上がり手を握った。
「どうも、レニです」
「驚いた、男だったのか」
 どう見てもピクリとも驚いていない落ち着いた態度で、オーフェンはそう言った。
「? 女だと言ったか?」
 と、イアーゼがオフェンを見上げると、彼はすぐ首を横に振る。
「いや。名前だけだった」
「はは、たまに言われます」
「でもいいな。上背があって。度胸もありそうだ」
「あります、やる気もあります」
「最高じゃないか」
 声のトーンを変えずに浅く笑うオーフェンは、受け答えに安定感があった。

 

(こういうプリ、モテそー)

 

「いいな、彼、気に入った」
 オーフェンが隣にそう言うと、イアーゼは「当然だ」と答える。
「じゃあ、さっそく皆に紹介して、打ち合わせをしたいんだが、この後は暇か?」
「あ、めっちゃくちゃ暇ッス」
 持て余してるじゃないか、とオーフェンは愉快そうに笑った。レニの攻城戦参加は、すぐに決まったようだった。

 


 ヴィアのギルドハウスは、宿からそう離れていない場所にあった。東側の小通りの一角にある道を挟んだ建物2つで、二階どうしが橋のように連結しているという、夢のある構造をした大きな家だった。こういった建物はプロンテラに多いが、実際、中に入ってみるのは初めてだ。連結部の下を通るときに、上を見上げながら「あの橋、渡れますか」とオーフェンに尋ねると、「あそこが談話室だ、今からそこにいく」と彼は答えた。毎日、あんなところで談話してるのか、とレニは感心する。

 

 二階に上がると、橋の部分は思っていたより広く、向かいの建物の階段まで見渡せるほどの部屋になっていた。両側の壁に窓から光がはいってくる、見たことのない開放感の部屋だ。中央のテーブルでは、冒険者が4人で何やら話をしていたらしいが、レニたちが入ってきたことで視線がこちらに集まり、話は中断されたようだ。
 長方形のテーブルの奥側に3人、手前に1人。何か尋問でもされているような配置だった。

 

誤報だ、誤報。男だった」
 4人に向かって、オーフェンがそう言った。
「ええ?!」と奥のハンターが驚いて、こちらに駆け寄ってくる。
「じゃあ、作戦会議は……」
「いらん、余計な心配だ」
「な~~んだ~~」
 短く刈り込んだ水色の髪の上にオレンジのカラーサングラスをつけたハンターが、レニのほうへ飛び切りの笑顔で握手を求めてくる。
「いやあ~~歓迎、歓迎~~! 俺がギルドマスターのマシュー、こっちがオーフェン。あっちにいるのもギルメンね。おーーーい、みんな、レニくん男だったーーー」

 

 マシューに案内されてテーブルに座らされたレニは、5人からの視線をあびて、とりあえず、がばりと頭を下げた。
「なんか、女の子って期待させたみたいで、すんませんッした!」
「いいのよ、男でよかったのよ! あー、マジで安心した」
「いや、ぜんぜん解決してないですからね? 今回セーフだっただけだからね?」
 ウィザードの女が、マシューにそう訴えながら、テーブル向かいの金髪のプリーストを指さした。先ほど尋問されていた男だ。
「ツードさん問題は、ちゃんと管理しなきゃいけない大問題だから!」
 指をさされた本人は、ゆっくりと煙草を吐き出しながら、落ち着いた調子で口を開いた。
「だから、もういいですけどね、俺。あらかじめ、ホモとか触れ回ってもらって」
「いやぁ、さすがに、それはちょっと……」
 レニは隣のプリーストを見て、一瞬で思う。片目が隠れた金髪の前髪に、赤紫の瞳。気だるそうで、でもなんとなく懐の広そうな空気、そして驚くほど耳障りのいい声。

 

(やっべ、こっちのプリのほうがモテそー)

 

 事情が読めないレニに、オーフェンがした説明はこうだった。
 いわく、このギルドに最近入ってきた新メンバーが速攻で辞めた理由が「この金髪プリースト狙い」だったから、らしい。それが2人続いたことで、ギルド内ではちょっとした問題になっていた。そんなおりに、レニが季節外れの突然参加を希望したものだから、今回も危ないのではないかと作戦会議を練っていたということだった。
 とんでもない話だ。
(やっぱ鬼モテじゃん、すっげー)

 

 金髪プリーストは、ツイードと名乗った。
「空気読んで、俺もツイードさん狙ったほうが良いですかね」
 女性2人は、レニの冗談にギャハハハと大ウケで、「レニくん、ツードさん好み?」と笑いながら聞いてくる。
「お姉さんだったら、どストライクッスね」
「恋人のいるお兄さんなんだよ、残念だけど」
 前衛だから、GVではよろしくな、レニくん、とツイードは緩く笑う。

 

 この男の手綱を握っているのがどういう人間なのか、ちょっと興味あるな、と内心で思って、けれどそんな些末な好奇心のことは全部なかったことにして、レニは笑った。

 

「よろしくおねがいしまーす!」

 

 

・・・

 

 

「濡れ衣なんだよ、完全に」
 クレッセンスから来るという『ナイトのレニ』は、男だったらしい。まったく無駄な話し合いに付き合わされたと、ツイードは部屋に帰ってくるなりベッドの上に大の字に寝転んだ。


 スルガは恋人の悪くなっていく機嫌をなんとか取ってみようと「コーヒー飲む?」と彼を覗き込んだが、ツイードは顔の横で手を振って投げやりな態度だ。
「いいよ、もう酒飲みたい」
「じゃあ飲み行く?」
「違う、それぐらいってだけで……」
 腕で顔を覆っていたツイードだったが、天井を見上げて「いや、もう、それでもいいな」と言い出したから、気分は相当悪いらしい。


「買い出しも、レニくんいるしな」
「うん」
「飲んじゃうか、週初めの昼から。背徳的でいいな」
 週明けの昼に酒を飲むことが、背徳的なのかどうかスルガにはいまいちピンとこなかったが、彼の機嫌が上向きになるのだったらなんでもいい。
「ギルドから費用出ないかな。労災だろ、もう」
「そんな労災聞いたことねえけど……」
「新設してもいい」

 

 ツイードが交際を断ったことがきっかけで新人2人が辞めていったのは、一体どんな種類の労災になるのだろう。スルガとしては、多少自腹を切ってもいいからその労災に協力したい。
 辞めた後で「モーションかけられてたから、緩く線引きしただけなんだけど」と恋人から教えられて、「言ってよ!」「あの女!」「ふたりも!?」「俺もなんか、……なんかしたかった!」という気持ちが複雑に絡み合って、スルガは結局、ろくな言葉をかけていない。
 昔からモテる彼だが、ここ最近の引力はちょっと異常だ。若い時よりも数が増えている。

 

(かっこいいから、分かるけどさ……)

 

 以前、『なんか思わせぶりなことしてない!?』と聞いてしまって、ツイードの地雷を踏んだスルガとしては、あまり余計な言葉をかけずに事態を収拾させたいところだ。

「他人ごとじゃねえからな、そっちも」
 スルガがおたおたと次の行動に悩んでいるところに、ツイードの視線が突き刺さる。
「そりゃ、そうだよ」
「じゃなくてさ。WIZのほうは、どっちかっていうとお前狙いだった」
「え!?」
 あのウィザードが、とスルガは彼女の記憶を脳の奥底から引っ張り出すが、髪が黄緑だったことしか覚えている情報がない。
「そ、……そうなんだ」
「絡んできたのは俺だったけど、お前の話ばっかりだったから。『あれ、相方じゃなくて彼氏だよ』っつったら、次の週には辞めてた」
「だったらそう言えばよかったのに……」
「アンナさんたちに? 余計ややこしくなる。巻き込まれたいの?」
「いやぁ……俺、わかんないよ、そういうの」
「分かんない彼氏を、守ったんだよ俺は。労災なくても、労われたいよなぁ」
 ツイードがベッドに寝転びながらも、じとっとした目線でこちらを見てくる。だんだんとその視線の槍が顔に刺さりまくっていき、スルガは早々に降参した。

 

「分かったよ、俺が奢るよ。なに飲みたいの」
 労災にカンパするどころか、完全に自分の支払いになってしまうが、それも仕方ない。今月の懐具合をスルガが頭の中で勘定していると、ベッドからやわい声がかかる。

 

「なあ、スルガ」
 気づけばツイードが、起き上がりもせずに両手を広げてスルガを呼んでいた。
 そこに近づいていくと、スルガの頭は抱き留められ、ツイードの唇がすいっとこちらの唇に触れてくる。
「……なに、どうしたの、急に」
 スルガの問いにも碌に答えず、ツイードは浅く笑うだけだった。聞く気がない、遊んでいるのだ。スルガはどこか投げやりになり、今度は自分からツイードに口付けて、欲しいだけその唇を吸った。

 何度も感触を確かめて、少し顔を持ち上げると、くっつき合ったものを剥がすように下唇が端からゆっくりと離れていく。それが完全に離れきる前に、また深く口付けると、乾き始めた唇が、また水分を取り戻す。この唇が柔らかく吸い付いてくるのは、ツイードが力を抜いているからだ。こちらばかりが強く求めて、返ってくる感触はやわく甘いのに、どうしたってもどかしい。

 いくつになっても、何度重ねても、このキスの魔力だけはずっと衰えず強いままだ。


「正直さ、」
と、唇が離れた瞬間、間近でツイードが息を吸った。続きを止められて、スルガは半開きの口のまま「え」とそれに答える。
「俺、ちょっと妬けたよ」
 どの口がそんなことを言うのだろう、とスルガは思う。けれど、『どの口がそれを』という事を言うときのツイードの表情は、いつも好きだ。
「……お前が言うの」
 さらにスルガが口付けを求めれば、ツイードはそれに応えながらも、ふふっと笑った。
「辞めてくれて、ほっとしたかも」

 

 嫉妬にかられるツイードの姿を、スルガは上手く想像できない。彼がその言葉を使うときは、いつも余裕があるように見える。けれど、わざわざ自己申告してくるツイードが、なんだかいじらしくて可愛い。自分の感情表現の乏しさを、愛嬌だけで全部カバーしているこのプリーストらしいやり方だと思う。それにすっかり嵌っているが、自分でも嫌いじゃない。

 

「ちょっとは普段の俺の気持ち、わかったろ」
「んー……」
 ツイードは、やはりまだまだ余裕があるような態度に見えた。
 そして彼は、とろんと甘い瞳でまっすぐにスルガを見つめながら、とんでもないことを口走るのだった。

 

「でも悪くないな、これも。背徳きわめたい」
「ええ……」
 それが背徳と繋がっていることは、さすがのスルガにでも分かる。

 

 

2024.01.07