アルベルタの海とコーヒー

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 狩りの休日の朝に、早くから階段広場でコーヒーを飲んでいると、レニのことを思いだす。

 遠くに見えるアルベルタ港の船と朝市、ちらちらと光を反射する海面。これを見ながらホットコーヒーを飲むのがこういう日の楽しみで、朝早い俺のこの楽しみに付き合ってくれるのは、パーティーの中ではレニだけだった。後の一人は、こんな時間じゃあ宿屋で寝息を立てている。現に今だってあのウィザードはベッドの中だ。

 

 別に、レニがコーヒーを好きでもないことは知っていた。直接聞いたわけじゃない。聞けば本人は「え?好きだよ」と答えるに決まっている。でもあいつは、『嫌い』じゃない物のことはほとんど『好き』というし、たぶんその嫌いなことにだって、誰かが誘えば大抵腰を上げてついてくる。だから、あいつが本当に好きかどうかはこっちから推察するほか知りようがなかった。

 馬鹿みたいにフットワークが軽くて、笑えるほどバイタリティがある――レニはそういうやつだった。

 一度、なんでそんなにほいほいと体が動くんだと聞いてみたことがあったが、レニは不思議そうに眉を寄せて「んー剣士はみんなこんなもんじゃね?」と言っただけだ。もちろん、そんなわけない。

 

 俺が自分の選んだ職業に対して、ちゃんと胸を張れるようになれたのはたぶん、レニが「すげえ」と言ったからだと思う。

 マーチャントになりたてのころ、アルベルタの森でスポアを狩っていた俺に、突然あらわれたレニは眼を見開いてそう言った。俺が武器に斧を持っていたから、っていうどうってことない理由だった。ぶっちゃけ斧だって、攻撃力が高そうだったから適当に持っていたにすぎなくて、実際に振るってみてあまりの重さにちょっと後悔していたところだった。

 その場でレニに貸してみたら、すぐにあいつも使えてた。だから別に凄いことじゃない。でもレニがすげえって言ったから、俺はそのまま斧を持っていたし、清算にしたって、買い付けにしたって、あいつがいつだって「マジですげえ」って顔をしていたから、ソードマンの隣でも堂々とマーチャントがやれてたんだと思う。

 レニのそういうところに、助けられてきたのは、レームのやつも同じだったんだろう。

 あのウィザードも、森でウィローを狩っているところをレニが見つけたと連れてきたマジシャンだった。「一撃で倒せんの、すげえよなあ」とレニが言って、隣でレームが照れながらカラいばりしていた。

 俺はあの時、ちょっと面白くないなと思ったけど、それはレームの馬鹿みたいな性格に対してというよりは、レニの賞賛の対象が増えたことに対する嫉妬だったのかもしれない、なんて思ったりもする。

 

 俺たちはどのギルドにも入らなかった。パーティーとして一つの仕事を請け負ったこともなかった。だからもちろん、財布を一緒にしたこともない。

 いつもどこかに冒険に出かけては、狩った分だけ清算して、じゃあなと宿で別れていく。次の日、いつもの場所で自然と落ち合って、またぞろぞろと狩りに出かける。目標は明確だった。二次職になること。俺たちは全員、話し合ったわけでもなく二次職を目指していて、それが当たり前だった。

 

 そのうち腕も上がって二次職への転職が決まった。それぞれが転職試験をクリアしたあと、真新しい職業服に袖を通した俺たちは、また自然とアルベルタの宿屋に集まって祝い酒を飲んだ。

 でもその日は、それまでの日々と違ったことがあった。

 レニが「俺、プロンテラのギルドに入ることになったわ」と言い出したからだ。

「いいなって思うギルドがあったから、入りたいって言ってみたら、入れることになってさ」

 俺はあっけにとられてレニを見ていた。まさかそんな事をレニが言い出すなんて、思ってもみなかった。隣でレームがまったく同じようにポカンと口を開けていたのが見えて、その間抜けな顔に少しだけ冷静な気持ちになった。

 ふいを突かれた、と、どこかでそう思っていた。

 

 俺たちは約束しあったパーティーじゃない。パーティーを組んだのだって、公平にするためであって、団結するためじゃなかった。

 ノービスになって、一次職になって、経験を積んで二次職になる。そういう初めの道筋は、たいていの冒険者が通るお決まりのルートだから言わずとも共有できた目標だっただけだ。俺たちは、乗り合わせた船が一緒の同期であって、一生涯を共にするパーティーじゃない。俺はそれをどこかで分かっていたはずなのに、根本的なところで理解していなかったように思う。レームのほうは、俺よりもっとそうだった。

 

「今までみたいに狩ればいいじゃん」とレームが言って、「んーでも、もっと他のところも見てみたいじゃん」とレニが返した。

 その会話の行き違いを俺は客観的に理解できたのに、どちらにも説明はしないまま、ずっと二人を眺めていた。

 

 今になって思うのは、俺とレームは、まるで子供のころの仲間たちと遊びに出かけるような感覚で、狩りをしていたんだな、ということだ。

 いつまでも続くわけじゃないっていうのは分かってたのに、別の人生を歩みだす岐路が、ある日突然の別れみたいに感じてしまう。

 

 同じギルドに入るよ、と俺は言えなかった。だからレームにも入れよと助言することができなかった。あのウィザードの場合は、俺と違って、誰かに乗っかって入った方がいいって俺には分かっていたはずなのに。それを今でも時折思い返すことがある。でもたぶん、俺がいないと、レームとレニは行き違いになっているんだろうとも思う。

 

 帰って来いよ、とレニには言えない。

 だってここには何にもないから。

 俺たちの住み慣れた、居心地のいいアルベルタがあるだけ。アルベルタはそれだけの町だ。

 

 俺は今のこの暮らしが最上だとは思えないけど、否定したいとも思えない。

 海を眺めてコーヒーを飲む朝の時間は、俺の人生のすごく美しい景色だと思う。

 

 レニには、いつだって「すげえ」って言っててほしい。

 

 もうそろそろ、レームを叩き起こして、狩りの準備をする時間だ。

 

 

2021.01.27