アイドルのツイードさんと、ガチ担のスルガさん

※現パロ

ツイード:アイドル

スルガ:強火担

 

 

 

 

「今日、休みですよ」
 ツイードが声をかけると、店の入り口に立っていた男、スルガが背後に振り返った。彼はこちらの姿を見たとたんに面白いぐらい目をまんまるにしてパチパチさせた後、「あ、あ…」と言葉にもならない声を出す。
「火曜でしょ」
 ツイードはポケットから鍵を取り出して、店のドアを開けるためにしゃがみ込んだ。隣で棒立ちしたままのスルガは、こちらの動きを眺めたままあわあわしている様子だった。
 どうしてここにいるんですか、とか、今日はお仕事お休みですか、とか、何か適当な世間話でもふればいいのだろうが、彼相手に一体どんな話題が適切なのか正解がわからないまま、ツイードは無心に解錠してしまう。
 定休日に忘れ物を取りに来ただけだったのに。

 

 ここはツイードが働く喫茶店で、彼は常連の客だ。
 去年までは、それだけのはずだった。
 それが、半年ほど前にツイードがアイドルの前座でステージに出だしてから、この常連客とはおかしな関係になってしまっていて、最近ツイードは彼の扱いに明確な指針を打ち出せていない。

 

「もしかして、スルガさんも何か忘れ物ですか」
「え?」
「店に」
「…え? いえ」
「あ、そーですか。まあ、俺はそうなんですけど」
「あ、忘れ物だったんですね」
「そうなんですよ。取りに来るか迷ったんですけど。別にこのあたりで買い物もないし」

 

 夢と希望に溢れる電気街だが、ツイードはアイテムをコレクションする趣味がない。電子書籍に切り替えてからは、ゲームの類いも全部ダウンロード型に統一して、本棚を処分した。長年、自分の庭みたいに歩いてきた秋葉原も、物欲がない状態で眺めると、遊び終わったおもちゃ箱みたいだった。

 

 開け終わった鍵をポケットにしまいながら、ツイードは立ち上がって、ちらっと後ろに目をやった。
 会場での訳の分からない格好(鉢巻きに法被、両手にうちわ)ではなく、平日のスルガはユニクロの広告みたいな服を着ている。今日だって、白のティーシャツにブルーのジーンズというシンプルな姿だ。細身すぎない体格だから、簡素な服が質素にならない。何かスポーツでもしているんだろうか、格好いい、と、以前までは思っていた。

 

「今日はステージもないですよ」
「あ、っと、……わかって…ます」
「もう、なんです、最近。やめてくださいよ、俺の前で緊張するの」
「や、すみません。…ですよね。わかってるんですけど、あの、一応、担当なんで」
「またぁ。マジのアイドルみたいじゃないですか」
「いや、ツードさん、マジのアイドルですよ」
「コスプレですよ、あんなの」

 

 それは、経緯を話すとあまりにも長くなる。
 何年も勤めている喫茶店のビルの、三階にメイド喫茶ができた。それがきっかけでオーナーがそちらと仲良くなり、普通の純喫茶だったこの店を週末だけ執事喫茶にすると言い出した。
 そんなことを言われても務めているのはツイードともう一人の友人だけだったが、仕事の制服が変わるだけで他に何か業務が増えるわけではないからという説得に負け、週末だけウェイターに毛の生えたような執事?の格好をするようになった。もともとこの街に過ごす者の一人として界隈の傾向に抵抗はなかったが、率先して衣装を着る趣味はなかったのに、もう今では仕事用の服を選ぶのが面倒で平日もその服を着ている。ベストにリボンタイに黒いエプロンなので、これじゃあバトラーというよりはボーイだろう、とは思っているが、深くは突っ込んでいない。
 そしてときどき、その制服で、隣ビル地下のステージで、地下アイドルの前座をしている。これも話せば長いが、簡単にまとめるとこうだ。
 メイド喫茶の店員たちが地下アイドルを始めると言い出して、その舞台の背景で執事の格好で立つだけのバイトを頼まれた。給料もいいので引き受けて、本当に立っているだけなのもなんだったので客の誘導や受付を手伝った。イベントは無事成功し、打ち上げにカラオケに行って、次の週末には何故かツイードもステージで歌うことになっていた。
 やはり給料がいいので引き受けたが、観客が面白がるのをやめたらすぐになくなる仕事のはずだった。
 そして気づいたらほとんど毎週、ステージに立っている現在である。
 メインのアイドルはメイドたちで、自分たちはイベント時間が切り替わる間の前座、にぎやかし兼声出し誘導だ。いつのまにか専用枠が設けられることも増えたが、どんなに譲ってもやはりアイドルではない。

 

 スルガは、そんな訳の分からない展開になる前からの、喫茶店の常連客だった。
 今度やるんで来てくださいね、と声をかけたことはあったが、特にアイドルのファンをやっていたわけでもなさそうな、むしろどちらかというと何故この街に入り浸っているのかが分からない風体の男だった。アニメや漫画にそれほど興味があるようでもない。常連客達と一緒にやったモンハンでは、強かった。連れの男に、彼はとてつもなくFPSが強いのだと聞いたことはあるが、見たことはない。
 オタク街の硬派な青年。
 そう思っていたスルガが、今ではあの地下の客席で、ツイードの名前が蛍光色で書かれた鉢巻きを巻いて法被を羽織っている。ツイードには意味が分からない。
 初めは全力のネタなのかと思った。

 二回目は、そういう滑り芸なのかと思った。

 三回目にして、『あ、この人、変な人なんだな』と理解した。

 

「昼飯食いました?」
 ツイードが尋ねるとスルガが「え、いや」と答える。ドアを開けてから「何か食います?」と聞けば、スルガは「でも、店休みでしょう?」と聞き返してきた。
「まあ、休みですけど。ちょっとぐらい開けてもいいんじゃないですか」
「いや、ツードさんの休みの日なんで、それは」
「はあ」
 緩い職場だから休日も勤務日も大した差はないが、相手がそういうのだから無理強いする気も起きずに、ツイードは店内に入る。
 カウンター裏に置いたままになっていた、自分のワイヤレスイヤホンを手に取り、すぐに戻ってまたドアを施錠するために腰を下ろした。
 
「スルガさん、なんでここにいるんですか」
「……やぁ、理由はないんですけど……日課というか」
日課
聖地巡礼というか」
「いや、それはないでしょ」
「じゃあ、日課で」
「ようは、暇なんですね」
「まあ、はい」
「じゃあ、飯でも食いにいきます?」

 

 ツイードは鍵をポケットにしまいながら、当然の流れとして食事に誘った。けれどスルガは、えっと硬直して、「いやいや」とそれを断ってきた。
「休日に、二人は、ちょっと」
「は? なんで」
「界隈の、…マナー的に」
「……本気で言ってます?? 俺、ただの喫茶店の店員ですよ。ってか、前はけっこう行ってませんでした?」
 二人きりではなかったが、ゲームの数合わせでファミレスに行ったりしたことは何度もある。
「今更?」
「……でも、いま、俺……担当なんで」
「わっかんないなぁ…」


 ツイードはスルガを知れば知るほど、彼のことが理解できない。

 たぶん、店の客として初めて会った日が一番、彼のことをすんなり理解できていた。あの日もスルガはシャツにジーンズで、強ゲーマーと言われればまあなるほどと思える感じだったから。

 

「じゃあ、もうクレーンの景品とか取ってくんないんですか」
「え」
「欲しいのあったら、スルガさんに頼んでたのに」
「…」
「今二人で行くと、デートになるんです?」
「デートッ!?!?」

 

 スルガが飛び上がって否定する。ツイードは眉を寄せて腕を組んだ。
「だって、マナー的にって言うから」
「いや、でもデートって言わないんじゃあ…」
「言わないと思いますよ、俺も。デートじゃないしなぁ」
「…はい」
「けど、それだったら、別にいいでしょ。俺と飯いっても」
 デートじゃないんだから。
 スルガが、数学のテストの難題でも見たかのような顔で、首をかしげる
「ん? んん…?」
「っていうかですね。俺の担当とかいってんの、マジでスルガさんだけなんで、界隈もなけりゃ、マナーもルールもないっすよ」
「いやぁ、それはこれから増えると思うんで」
「気が狂ってんのか、目が狂ってんのか、どっちだ?」
「でも人目があるところはちょっと…」
「はあ」
「この辺りの店も、ちょっと…」

 

 ツイードはだんだん面倒臭くなってくる。
 別にこの人とどうしても食事に行きたかったわけでもない。
 しかし『もういいか』という気持ちと同じ程度か、ともするとそれ以上に『どうにかして折れさせたい』という気持ちが、自分の中にはある。なぜだろう。スルガを見ていると、イライラするのとも、じれったいのとも、少しずつ違うまどろっこしい感情が、どんどん腹の底に溜まっていっている気がする。

 

「じゃあ、スルガさんの条件満たす店にしましょうよ」
 ツイードスマホで時間を確認してから、頭に思い浮かんだ店のいくつかを検索した。
「え?」
「ここから離れてて、人通りが少なくて、誰にも見られない個室で。そういう店ならいいんでしょ?」

 

 スルガの表情がまた、数学の問題を解き始めた。時間を待たずにツイードは今から空いている店を見つけて、歩き出す。

 

「ありましたよ、ほら、行きますよ」
「え? いや、だから二人は…」
「えー? じゃあ別々に店に入って、中で落ち合います?」
「は?」
「なんかそっちのほうが、いやらしいなぁ」
「ええ!?」

 

 ステージから、スルガにファンサをしたことはない。というか、なるべく見ないようにしている。痛いからでも滑っているからでも、迷惑だからでもない。
 たぶんツイードにとっての彼は、舞台上からじゃなくて、路上の隣から見ていたい対象なんだろう。

 

「どうせなら、WI-FI通っててゲームできるところもいいですね、久しぶりに」
「え、でも、アキバ以外だと、飲食店ではそういうの厳しいですよ」
「はあ。なるほど。もしかしてラブホとか誘ってます?」
「え!?」
「スルガさんの、えっち」
「え!?!?  この会話、なんなんです!? さっきから、意味が分かんないんですけど!?」
「……(俺もだよ。止めろよ)」
 

 

 

2021.03.02