1-3
「寒ッ!」
「うっわ、さむ」
久しぶりに出したポータルをくぐれば、そこは一面銀世界。冬の街、ルティエだ。突然変わった気温に背筋がぎゅっと縮み上がる。
シーズン中なら屋台やら人混みやらでまだ少しは温かみもあるだろうけれど、季節外れで人の気配もないこの街は、想像以上に寒さばかりを主張してくる。吐く息が白かった。
「なん、で、こんなトコにしたんだろ、俺」
震えながら呟いたアサシンの声がツイードにも聞こえたので、「定番だからでしょ」と突っ込んでおいた。
告白はルティエ。バケーションはコモド。王道だ。こんなところだけ順序を踏まなくてもいいのにと、何かちぐはぐな気分になる。
寒さで小さくなりながらも、まだ気持ちの準備がついていないのか、スルガはどこかそわそわと困ったような顔をしていた。
「てか、なんでルティエポタもってんですか」
目が合うと、彼はそう口を開いた。特に目立った利益もない偏狭の街であるルティエにワープポータルを記録しているプリーストは少ない。
「なんでって、決まってんでしょう」
言っていて自分で可笑しくなった。ツイードは得意気に笑いながらスルガを見る。
「ネタです」
「でしょうけど!」
何もルティエじゃなくたって、と ごにょごにょ呟く彼は、自分からこの状況を作る種をまいておいて往生際が悪いようだ。
「どーします? とりあえずダンジョン入りますか? 中は雪ふってないし」
ツイードが目の前のダンジョンを指さして首を傾げてみせれば、隣で両腕を抱きながら歯をガチガチさせているスルガがコクコクと大袈裟に首を縦に振った。
ダンジョンなら、ここよりもましな環境で話もできるだろう。まあ、モンスターも出るのだが。
ダンジョンに入って、何となく二層に来て、そのまま何となく狩りをしてしまった。甘ったるい匂いの中で、思考回路までが鈍くなってしまう。こんな手癖のように倒される敵も堪ったものではないだろう。
一旦モンスターの波も引いたころ、適当な階段に腰を掛けてツイードは懐から煙草を取り出した。
「吸ってもいいですか?」
相手が頷いたのを見て、先端に火をつける。教会の規則では飲酒と喫煙はご法度なのだが、他の冒険者の例にもれずツイードもそんなもの守っていない。今となってはもはや、その二つ抜きに他人との間をどう保っていたのか思い出せないくらいだ。
適当なところを固定位置にして、寄ってくるモンスターを適当に倒すだけの、やる気もない狩りをしている――という建前のもと、ツイードは話が始まるのを待っているのだが、スルガは黙っているばかりで、時折来るモンスターを、八つ当たりのように叩いていた。
あまり意地悪く待ち続けてもさっきのようになってしまうだろうと、ツイードは自分から話を切り出してやることにする。
「で、聞かせてくれないんですか」
「へ?」
力任せにカタールで切り付けていた小人のモンスターにとどめを刺し終えると、スルガはぎこちない笑みを浮かべながら振り返った。
「告白に至るまでの経緯」
言ってからツイードは煙を吐く。そのまま手にとった煙草を彼にむけ、「いりますか?」と首を傾げてみたが、彼は小刻みに首を振った。
「経緯って……」
スルガが口ごもるので、ツイードが割って入る。
「つーか、俺、水差しちゃったんで、まだちゃんと聞いてないんですよね、告白」
促すと、スルガは顔を紅潮させ、肩をかしこまらせた。
「あ、あ、ですよね……!」
そして、ルティエに誘ったとき同様、カタールをぎゅっと強く握り締めてから強い目線でこちらを見てくる。
「俺、ツードさんが好きなんです」
「はい」
そこまではいい。ツイードはじっとスルガの瞳を見る。
座っている自分の真正面に立つせいで、スルガの影が顔に落ちてくる。逆光のシルエットだと、彼の姿は余計にきれいだった。
「で、俺と、付き合ってほしいなぁって、思ってたんですけど……」
「……」
「……ツードさん?」
なんだ、普通の告白じゃないか。そう思った。別にどこもおかしくない、どこにでもある普通の、ごく当たり前の告白を、今自分は受けている。
思いもよらない同性のアサシンが相手だったものだから、変に身構えてしまっていた自分にツイードは気づいた。
何か、とんでもない提案をされるのかと、無意識に考えていたのかも知れない。具体的なことは何も考えていなかったのに。
一回ヤらせて下さいとか、俺を奴隷にして下さいとか、そういうのではないようだ。
「付き合うって、恋人としてですか?」
尋ねると、スルガはこくりと首だけで頷いた。
「それって普通の恋人、って意味で、いいんですよね?」
目を逸らさないまま、相手はまた頷いた。
「じゃあ、返事はノーです。ゴメンナサイ」
「……!」
さっきまでと同じ単調な口ぶりで言ったつもりだったが、スルガの瞳が突然うるっと濡れた。寄せられた眉は、捨てられた子犬のようだった。
豹変した表情に、可哀そうだとは思ったが、でもそれ以上にその変化は面白かった。酷だろうか。
「だって、俺、されるのはちょっと」
「され……?」
表情はそのままに、スルガは首を傾げる。仕方ないのでツイードは言葉を補った。
「セックス。ぶっちゃけ、挿れられるってことでしょ?」
「!?」
ビクっと引きつってから、スルガは両手のひらをこちらに向けて、ストップのジェスチャーをした。
「ど、どっからそんなトコへ飛ぶんですか! 俺はただ」
「でも、恋人なら普通、するでしょ」
「…そりゃ、……するかも、しれないけど…」
『かも』かよ。と、ツイードは心の中で呆れた気持ちになる。
(いやいや、するだろ。したいんじゃねーのかよ。どうせ散々ヤっただろ、妄想で)
ムっとした一瞬の内に自分の中の一番キツい人格がそんな言葉を並べたてたが、本心的にはそれの半分も思っていなくて、それを理性で理解するために、ツイードは大きく煙草を吸って、ゆっくりと息を吐いた。
紫煙が空気を流れていく。
背後にちらりと動く物体が見えた。
「あ、うしろ、敵」
ダンジョン内なので、こんな時でも襲ってくる敵はお構いがない。
「え?」
驚いた表情を見せたくせに、振り返りざまにはもうカタールが構えの体制に入っていたのだから、スルガはやはり腕の立つアサシンだ。
彼が踏み込んだ瞬間、刃の軌跡が下から弧を描いて、モンスターは斜めに切り上げられる。
確実に急所だけを狙う、クリティカル型の戦闘タイプ。その中でもスルガは、ほとんど攻撃を外すことがない腕前だった。
あの溜まり場の冒険者連中は、馬鹿な騒ぎを好むけれど仕事はきっちりとこなすから好きだ。息を呑む間もなく、簡単にとどめが刺されて、敵は塵屑と消える。
クリスマスデコレーションされた建物と、カタールの刃物の鋭利な輝きが、どうにも噛み合わない。
それに引っ張られて、思考回路もまともな状態を保てないままだ。
もしかしてだからこそ、ここは告白の場に最適なのかもしれない、と、見当違いな仮説が、ツイードの頭の片隅で転がっていった。
アサシンの、攻撃が終わったあとの後姿は、なんだかとても澄んで見える。
武器までが身体の一つになったような、美しい流線形のシルエット。
スルガが、モンスターの血糊を払うために両腕のカタールを下に振りおろして、その音と共に彼の影がアサシン特有の形になった。
目の前で起こった殺戮と反比例して、それはすごくきれいだ。
体のラインの周りだけ、空気が澄んでいるようにさえ見える。
完璧な造形をしたアサシンの、伏せられた瞼。薄く開かれた唇から、吐かれる息。静寂の中で唯一許された、生き残った者の吐息。
そして彼がゆっくり振り返る。
「あの、話、戻しますけど」
一瞬、なんのことか分からなくて、ツイードは我に返る。
「あ、はい」
反射的にした返事と共に顔を上げると、スルガと視線が合った。
「そういうの、あんまり考えないで、俺と付き合ってくれませんか?」
だって、普通のカップルでも、告白の時からいきなりそんなこと考えないでしょう? と、スルガはまっとうな理由を言ったのだが、その言葉はあまり頭に入ってこなかった。
そんな理屈抜きで、ツイードは彼の言葉に頷きたくなる。
肯定してみたい。
気づけば自分は、こくりと首を縦に振っていたのだった。
1-4
ダンジョンといえど、ルティエはあまりに寒かった。
用事が済んでしまえば、こんな思考の鈍るところにいつまでも居られない。
さっさとプロンテラに帰ろうとツイードはスルガに提案し、うやむやの内に彼の曖昧な返答を了承と取った。
スルガのほうは、自分の告白が結果的に受け入れられたかそうでないのか――たぶん前者であることは気づいているのだろうが――分からない展開に動揺したまま、終始なにか聞きたそうな顔をしていたが、ツイードは面倒くさいのでそれらを無視した。
ワープポータルを詠唱しながら、このまま帰ってどうするんだとツイードは内心考える。ルティエから逃げ帰ったって、スルガと二人きりなことに変わりはない。
いや、でもそれも、いいかもしれない、とツイードは思う。
スルガと二人で、彼が何をするのか、多少興味があった。
ところが、ポータルをくぐると、溜まり場には仲間が帰ってきていたのだった。
「あ、ツードさん、と……スルガだ!」
収集品の分配をしていたらしい彼らは、ツイードとスルガの顔を見るなりパっと顔の色を変える。
仲間の存在に、安心半分、気落ち半分、ともかく座ろうと思ったが、なぜか皆が一斉に瞳をきらきらさせて自分達を見ている。腰をおろすどころではない。
「どこいってたんですか?」
「ルティエですけど……」
あ、とスルガが返事を止めるような仕草をしたが、ツイードの口がまわってしまうほうが早かった。
「やっぱりーーー!!」
溜まり場の仲間内でも特にスルガと親しいグループのアサシン、スミが「スルガの乏しいおつむじゃ、せいぜいそこだろうと思ったよ!」と腹を抱えて笑った。
「で!? それで!?」
「それでって……?」
詰め寄る仲間達にそう聞き返しながらも、ツイードはなんとなく話が読めていた。
振り返ると、スルガは気まずそうに視線をそらしている。
まあ、いいか、と思った。流されたとは言え、結果的に承諾したわりには散々いじめてしまったわけだ。優しくしてやらなければ彼も割に合わないだろう。
「OKしました。今日からカップルです」
一瞬静まり返ったが、次の瞬間には封を切ったがように彼らは冷やかしはじめた。わあわあと大袈裟に騒いでは「今日の打ち上げは宴だー!」と勝手に飲み会を設定している。仲間の一人に肩を組まれ、ツイードがはいはいと彼らをいなす中で、視線がふいにスルガと合った。
ツイードの発表に、一番びっくりしていたのがスルガ自身だったのが、なんだか少し可笑しかった。
1-5
「告白されたのってルティエのどのへん?」
「ダンジョンですけど?」
「えー! なんでそんなとこで!」
「ってかツードさんってフリーだったんだ?」
「どんな条件でOKしたんですかー?」
「ふっかけたんでしょ?」
「ハハ! その手があったか、やっときゃよかった」
「たいていの条件ならいけたよ多分。だいぶ熱あげてましたもん」
散々騒がれた後めでたいから収集品の利益で奢ってやるといわれて、酒場まで連れてこられてからずっと、飲み会は自分たちの話題で持ちきりだった。ツイードは普段、これほどまで宴会の中心に居座ることがなかったので、あちこちから振られる話に答えるだけでも一苦労で、ゆっくり酒を飲むどころではない。平素はそれほど深入りしてこない連中までここぞとばかりに自分をつついてくる。
「もう、お前らやめろよ、ツードさんイジんな!」
ツイードを質問攻めにあわせていた女性陣をスルガが両手で追い払った。
「おいおいなんだよスルガー。いきなり彼氏面かー?」
「ちっさいなぁ、もう」
「調子のってたらすぐ振られますよー?」
「リサさんまで……!」
「あーもうハイハイ、どきますよ、どーせ横に座りたいだけだろうが、このドスケベ」
「ちが!」
咄嗟に否定してみせるスルガを見上げながら、別に何も違わないだろう、とツイードは思う。ただ、のべつ幕なしに浴びせられる質問から解放されるのならば、理由はどうだっていい。
不服を言いつつも撤退していく彼女らが、遠くから「まけんなヘタレー!」と応援だか悪口だか分からない声援を飛ばした。
それに「うっさいよ!」と見送りながら、スルガはツイードの隣に腰をおろす。
(やっぱ座るじゃん)
ここで座らなくてもおかしな話ではあるが、結構ふつうにちゃっかりしてるアサシンだ。
もしかして本当に自分の隣に座りたかったからこちらまで来たのだろうかと疑問に思うこの感情は、どこか『期待』と似ていて、少し奇妙だった。
「あの、すいません、なんか」
注文した酒がすぐに目の前に置かれてから、スルガはツイードを気遣うように言った。
「いやあ、まさかここまで知れ渡ってるとは思ってなかったですけど、まあ平気ですよ」
仲間たちの盛り上がりからみるに、これは告白をばっさり断っていたら、ツイードが考えていた以上の大惨事となっていたことだろう。そうなってしまえば、溜まり場に顔を出すのが気まずくなっていた可能性すらある。それは勘弁したいので、結果的にはこれでよかった。
「俺、顔にでちゃうみたいで…。内緒のつもりがそっこうバレたから、ついでに相談とかのってもらってました」
「あー……」
ということは、結構前から自分のことをそう見ていたのか、とツイードは記憶を巡らす。どの記憶にも、その形跡がまるで見られそうにない。顔に出やすいらしい男の機微に、どうして気づかなかったのか。自分には全くそんなつもりがなかったから、そのバイアスなのだろうか。一体いつから、そういう目で見られていたのだろう。自分が意識しないところを見られている気持ちは複雑だ。
ぼーっと考えながら、フライドチキンをつまんで口に放り込む。
「あの、」
気づけば、会話の流れを変えようと、スルガが言葉を選んでいる。ツイードは鶏肉を何度も噛み締めながら、その続きを待った。
「本当に、アレ、その……いいんですか? 付き合うって意味で」
「はい?」
ツイードは思わず強く聞き返してしまう。それを機嫌の悪い声と取ったようで、スルガは逸らしていた視線をこちらに寄越し、弁解するように早口で言った。
「いや、だって、初めはダメだって言ってたのに、ツードさん急に頷いたかと思ったら、すぐポタだしちゃうし、確かめようにも帰ったら皆いたから聞くに聞けなくて」
「説得したのはスルガさんでしょうに」
「そうですけど、あれはやっぱり変でしょう」
「ですか」
「ですよ」
ツイードは黙って白ワインを飲み干した。度数の高いアルコールに軽く咽喉が焼けたのを、頭は冷静に感じ取っていた。
「スルガさんの、押しに負けたっていうんじゃ、だめですかね」
瓶からグラスへワインを注ぎながら、ツイードはつぶやく。
「しぶしぶみたいじゃないですか、それ」
言葉こそ悪いが、そう取って貰っても別に構わない。けれどスルガはそれが不満なようで、そういうのが少しわずらわしいとすら思う。
付き合ってくれと頼んだ側が、それを了承した自分に、一体なんの不満があるのだろう――と、理不尽な思いが頭をよぎったが、自分の取っている態度が彼のその後の人生を左右する決断のわりにはあまりに不誠実だということは分かっていたから、自分の中で上手く論理のすり替えが出来なかった。
実際、渋々、というわけではないのだ。ツイードの中にはもっと自発的な、軽い欲求のようなものが確かにあった。
「んー……」
「ないんですか……? 理由とか……」
「理由たって……ほんの数時間前まで、思っても見なかったことだし……」
「OKした理由だけですよ?」
「えー……。言われてもなぁ」
ツイードが言葉を濁らせれば濁らせるほど、スルガは不安そうな顔をした。
「一回はダメだって言ってたのに、意見かわったっていうのは、なんか思ったんでしょう?」
「そーですねぇ」
ツイードは持て余したワインを少しずつ口に含みながら、自分の感情の一部を言語化しようと試みた。けれどきっと、どんな風に言っても自分の正確な意味は分かって貰えないだろうなという予感も、どこかにあった。
「スルガさんが誘うから、……俺もその気に、なっちゃったんです」
多少酔った顔で微笑んで見せると、スルガは急に照れた顔をしてそっぽを向いた。ツイードはどうやら本当に好かれているらしいというのを淡く実感する。
いや、もしかすると、お互いにこの状況に酔っているだけなのかもしれない。
だけど妙に、気分が良かった。