焼き尽す炎は素敵

 

「居たぞ!」
 太い声が闇に響く。
 その瞬間、どっと音がして建物の柱か何かが崩れる音が後に続いた。轟音だ。炎がこれほどまでに悲鳴をあげるものなのか。
 意識が段々とはっきりしてくる。
 夜の空気は研ぎ澄まされていて心地よい。
 なんだ、燃えるんじゃないか、と駆けながらノウは思った。
 石積みばかりの詰まらない建物ばかりだと思っていたら、きちんと火薬で燃えるらしい。首都のレンガ造りも満更ではない。


 騎士団の警護班の連中は、走る時も、ガシャガシャと騒がしい。
 大して急所を守れもしない上、その重さが動きを鈍らせ、おまけに居所がすぐ知られるという間抜けな防具だ。一本隣の通路を抜けるようにノウは駆ける。


 大きく燃え盛る炎のせいで、辺りは赤く揺らめいていた。
 ごう、と空気が戦慄き、騒ぎを聞きつけた住民や冒険者たちのざわめく気配が遠くに聞こえる。


 ノウの前を走るアサシンの走り方にはムラがありすぎた。
 上がった息の音が、どんどん近くなる。
 騎士団の連中は、どうやら別の路地に入ったらしい。元々、追う目的をとっくに見失って、闇雲に走り回っていたのだろう。
「どこだ…!」「あっちに人影が」「間違いない」「…ウィザードか!?」


(違うよ、馬鹿)


 ノウは左腰からナイフと抜いて、そのままそれを前の男に投げつけた。
 直後に男の体は前に転倒する。
 命中だ。
 蹲り、呻き声を上げるアサシンの右太ももに、刀身全てが刺さりこんでいた。
 布の巻き方が甘いから、こんなにずっぽりと刺さり込む。
(なんだ、本当に素人か?)
 男がアサシン装束を身に着けていることは間違いなかった。けれど冒険者でアサシンギルドに加盟さえしていれば誰でも手に入る服だ。暗殺業に従事しているとも限らない。
 ノウはさして乱れもしなかった息を整え、ダガーを抜きながら足元に転がる男に問いかけた。
「あれやったの、お前?」


 その夜、プロンテラの北西部は、燃え盛っていた。
 大きな建物ばかりが同時に四つ。火薬を使っての計画的な放火だ。
 ここ半年、首都の街を騒がせる、連続放火。
 ノウが一応に所属するアサシン集団スケルの幹部達の話し合いでも、話題に上がることが少なくなかった。アサシンギルド深層本部と袂を別った暗殺者組織、それがスケルだ。組織の目的は世界の混乱と主導権の略奪。故にアサシンギルドと対立した。今ではモロクを出て、首都に拠点を置く。プロンテラはいわば、スケルの縄張り。
 自分達の関わらないテロなど、合っては成らない。それは即ち、敵対勢力を表す。


 男は引き攣った声を漏らした。
「燃やしたかって、聞いてるの。あれ」
 男の視線は、ノウの手に握られたダガーにばかり行っている。
「……ちが、」
 やっと喋ったかと思えば、彼の口から漏れたのは、否定の言葉だった。
 面倒だ、とノウは思う。
「もういい」
「俺じゃない! 俺は偵察で…ッ! ブラックスミスの男が!」
 ノウが握りなおしたダガーに、アサシンは体を強張らせた。
「偵察?」
 それは、アサシンギルド本部の、という意味だろう。あちらの監視下にでもないということだ。
 それでは、一体、放火はどの組織が? 何のために?


「ほ、んぶの、者に問い合わせれば、解かる」
 全身の筋肉が緊張状態であるかのような姿勢で、男は言った。噛み合わない顎のせいで、随分と発音しにくそうだった。
「そんなこと言われても」
 ノウは肩をすくめる。
「なにか勘違いしてるようだけど、僕は本部の奴じゃないよ」
 は? と、男が眉を顰めた。
 後ろのほうで、また、ドンと音がなる。
 火薬だ。
 炎は大分回って来ているらしい。
 騒ぎは大きくなっているようで、人の声があちこちで響くまでになっていた。ここもそろそろ、人目に付く場所になる。
 地響きのように、空気が炎に揺れていた。
(なかなか面白いとは思うけど)
 燃やす、という発想が、いい。
 そこだけはノウが高く評価するところだった。
(でも、何か足りない)
 ノウはさっさと立ち去ることに決め、ダガーを持ち変えた。
 その時になって、ようやく、目の前に転がる男が真っ青な顔をして、呟いた。
「おまえ……、まさか、ノウ…?」
 見開かれた目になど、なんの興味もわかない。
 ノウは口元だけ、にたりと歪めた。
「"ちがうよ"」

 

 

2008.09.04