Wait until dark (1)

 

【プロローグ | Prologue】

 

 

 少しだけ、俺の話をしようか。

 シュヴァルツバルト領の僻地。ミッドガル大陸にあって、ルーンミッドガッツ王国の恩恵という名の監視を受けていない街。すべての支配からうまく逃げおおせた水の都。それがアルデバラン――俺の育った街だ。
 そこは元々は大陸端、人も住まない荒地だった。それが領土戦争の時に、シュヴァルツバルド兵が必死の航海で上陸、それを商人旅団が後押しする形で町に。そして王国から独立した自治区になった。

 そんな歴史があるものだから、アルデバランは商人のメッカだ。例えばカプラ商会。モロクのキャラバン連中まで食いつぶし、今や大陸最大の流通サービスを展開しているカプラサービスの本社はアルデバランだ。錬金術師ギルドだって、元はと言えば商人の集まり。あそこの連中の商売はしたたかで強欲だ。研究費のつぎ込みようをみれば利益のほどは推して知るべし。そういう大成功の例がごろごろあると、大商人を目指すマーチャントの有象無象は、柳の下の二匹目の魚を狙って、無謀にもこの土地で商売を始めるんだ。

 そんないかにも小者じみたアルデバラン・ドリームを夢見てこの街に移住したのが、俺の親父。そしてまた多くの奴らがそうなったように、投資した金を派手に散らかし、大した成功もせずに日々を食いつなぐ底辺に成り下がる事となった。
俺の生まれはプロンテラで、幼少期はそこで育った。アルデバランに越してきたのは十歳にもならない頃のことだ。プロンテラに住んでいた時よりも明らかに落ちた生活の質に子供ながら微かな疑問を持っていたけれど、自分が冒険者になってみると一次職に転職する前の段階で、親父の商才のなさは充分に理解できていた。そんな杜撰なやり方でよくもまあ一勝負に出ようとしたな、とさえ思えたほどだった。親父の罪はシンプルにただひとつ、無能だったことだ。投資や移住は何も悪いことじゃない、無能でさえなければ。でも無能だったがゆえに、全部『場所』を間違っていた。金を賭けるところ、努力する方向――そういうものが全部。すると毎日こつこつ仕事をしているのに、どうしてだか金も仕事もこつこつ減っていく。本人には原因がとんと見当がつかない。無能は罪だ。
 そういう意味において俺の兄は、親父の血を“きちんと”譲り受けた正統派だった、というわけだな。

 父は商人。母は敬虔な宗教家。アルデバランに来てからは、息がつまるような毎日だった。近所に住む奴らなんかは誰も通わないような街はずれのさびれた教会に、休息日ごと母に手を引かれ連れていかれた。そんな息子たちを親父が横目で眺めて、朝からウィスキー入りのコーヒーを一杯やりながらボソリと小言を吐く。母はそれに冷たい目のまま無視を決め込む。もちろん、家の中の空気は最悪だ。そういう暮らしが何年か続いた。そんな胃の痛い生活を初めにドロップアウトしたのは兄のほうだった。マーチャントに転職したと思ったとたん、奴は逃げるように家から出た。とは言っても、地区ごとに住む人間のカテゴリーがはっきりとしたあの街の中で、兄が借りられる安い部屋なんて実家から大して離れた場所でもない。あの陰気な顔が俺の人生から完全に消え去ったのは、もう少し後になってのことだ。具体的には俺がブラックスミスに転職して、アルデバランを見捨ててから。

 プロンテラは住みやすい街だ。首都の雑踏は俺の肌になじむ。大陸端のじめじめしたあの街の価値観よりももっと新しく激しい流行の波があって、俺はそれに上手く乗ることができた。
 だから、同じブラックスミスとして、あいつらのことは到底まともな人間とは思えない。血の繋がりを疑いたくもなる。何故あれで商売を続けようと思える? あいつらは、いったい何に金を払わされているんだ?
 俺が超一流だなんて言わないさ。でもヘタクソな奴らと一緒にしてほしくない。そう思うことは傲慢か?
 商才のないやつほど、ぺらぺらのピザの生地みたいな薄い話をしやがる。情報がどんどん年老いていく僻地において、老害の口からでるのはもはや笑いの種にしかならない。

 ああそうだ。そういやこんなことを言うやつがいた。
『この強烈なインフレ経済じゃあ十年先の為の貯金するだなんて無意味だ。金の価値が全然一定じゃない。こういう時勢の中じゃ、金を作るんじゃない、ガキを作るんだよボウズ』
 どこのブラックスミスのオッサンだったかはもう忘れた。俺がまだマーチャントの時だったかな。
『いくら金を貯めても仕方ないなら、将来になったときに働ける奴を作っておくのが一番なのさ』
 そう、したり顔で言ったあの男の顔には、当時から反吐が出る思いだった。
 何を得意げに笑ってやがる。
 だったら聞くが、お前は将来、自分の体が言うことを聞かなくなった時に、その下らない物を振ってこさえたガキにまるまるおぶさって生きていく気か。まるで腐ったミネストローネみたいな酷い臭いがする反吐だな。そんなのまっぴらだ。冗談じゃない。俺は自分の体か判断力が一瞬でも鈍ったら、その時はモンスターどもに八つ裂きにされて食いちぎられたいとすら思う。勘違いしないで欲しいが、俺は別に死にたがりじゃない。でも少なくとも吐瀉物にはなりたくないね。そういう、最後の自尊心ぐらいは持ち合わせてる。オッサンの顔が、親父とかぶるんだ。

 本当に、アルデバランでの生活は、まるで溝のドブだ。
 君に似ていたあの女。そいつから兄貴への色恋沙汰を聞く人生。あの時間、俺は間違いなく、誰かの吐瀉物だった。休日の前の晩の真夜中に、うだつのあがらない酔っ払いが吐いたそれのすえた匂い。この世からなくなってほしい、記憶の片隅にも残ってほしくない、そういう時間だった、あれは。

 

 

 

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