Just the way you are

 通り過ぎていく風はまだ肌寒いのに、日差しはもうすっかり春だった。暖かくなったプロンテラの街には当たり前のようにごった返した人々がいて、カリシュは人いきれにうんざりする。せっかく気温がまともになっても、こんなにあちこちに行きかう人間がいると歩きづらい。
 

 リストにある品物を買っていくと結局、紙袋は二つになった。片方を腕に、片方を手にかかえても、どうしたって不自由な動きにならざるを得ない。どうして日常の買い出しはギルドのブラックスミス勢がやらないのか、理不尽にさえ思えてきていた。
 通り道の角の花壇の前で、ギターを弾くバードが歌っている。指ではじく弦は軽快で、カリシュの聞いたこともない陽気な歌を、陽気な声で歌っていた。
 

『君はじゅうぶん素敵なんだよ、そのままの君でいて
 

 隣のベンチではハンターの女が笑いながらタンバリンを叩いている。通りを行く何人かは、それを見て足を止める。
 紙袋の中には、いくつかフィオナに頼まれたものが入っていた。シェインから渡されたリストを見た段階で、その種類の多さに眉が寄ったが、後ろからフィオナが追加の品名をいくつか頼んできた。彼女は、振り返ったこちらの顔を見て笑っていたけれど。無理なら構わないと言う彼女を、数点荷物が増えたところで何も変わらないと制してから宿を出て来た。
 

 このあいだ頼まれて買ってきたハチ蜜は、食べるものだとばかり思っていたら、石鹸にばけた。いつのまにか部屋に飾られている名前も知らない花は、気づくとポプリになって枕元にある。買い付けにいった薬草屋で嗅いだ匂いと、同じ匂いのするクリームを、彼女はカリシュの肌に塗る。
 

 いつかのフィオナは、カリシュに尋ねたことがあった。
「私ばっかりお話しちゃって、退屈じゃありませんか?」
 そんな風に思ったことはなかった。けれど自分は碌な返事をしないから、結果的に彼女だけが喋っていることになるだろうと思った。逆に『それでいいのか』と問い返すと、フィオナはくしゃりと笑った。それを眺めていて何かを思ったが、それが何なのか、今も言葉にならないままだ。
 
 大丈夫ですか、と彼女が尋ねるたびに、彼女がそれでいいなら自分だってそれでいい、という風なことをぼんやり思う。うまい言い方ができなくて、まともな返事をしたことがない。
 きっと、大丈夫じゃないのは自分のほうだ、とカリシュは思っている。この日々に、何か異常な問題が起きているのなら、おそらくそれは自分のせいだ。いつ、どこから、ほころびが生まれるのか、想像もつかないし、生まれてたって気づきもしないだろう。だから彼女が自身の言動を振り返る必要はないのに。
 

 穏やかな太陽の下で、アコースティックギターが音楽を奏でている。街は人でにぎわっていて、露店商の並べる品数も多い。騒がしいと、いつも思っていた。けれどフィオナなら、彼女がここにいたなら、この街のあらゆる物を見ずに通り過ぎたり、聞き流したりしない。
 人生の時間が限られているなら、自分の余分な時間は、そんな人間の為に与えればよかった。カリシュが無駄に使う退屈な時間を、フィオナなら有意義に使えるに違いない。天におわす我らの主は、時間配分が随分と下手くそだ。この世界には無意味なものと有意義なものが、ごちゃ混ぜになってあふれている。
 

 もしかしたら、聞こえてくるあの歌も、彼女なら名を知っているのかも知れない。その知識を共有することも、その感情に共感することも、自分にはできないだろうとカリシュは思う。側にいるだけで、寄り添えはしない。きっと一生、彼女のようには、自分はなれない。たぶん、変わりたいとすら、自分には思えないんだろう。
 だったらせめて、大丈夫だろうかなんて、こちらを振り返ったりしないでほしい。
 彼女の時間は、そんなことに使うためにあるんじゃない。

 

2020.03.22