フィオナ、眠っているのか?

 「眠っているのか?」と声がした。

 甘い甘い声だった。角砂糖の上に温めた蒸留酒を垂らしたみたいに、じゅわりと甘く、痺れるような錯覚がした。声はやがて体の奥に染み入り、熱をうんでから、拡散していく。声の語調に責めるニュアンスは含まれていない。ただ、尋ねるように。何かを、確かめるように。抑揚の浅い声が自分に向けられている。

 答えなければ、とフィオナは思う。ぼんやりと、ほとんど眠りかけたまどろみの中で、その声に応えたいという気持ちだけがかろうじて意識に形を与えている。『眠っているのか?』

 

 はい、そうです。フィオナは思う。

 眠っています。今、眠っているところです。

 

 でも、そう答えるのはおかしいだろうか? ゆるく疑問が持ち上がる。答えてはおかしいかしら。眠っている人が、眠っていますと答えるのは、変だろうか。『いいえ、起きています』の時しか、返事はできないのだろうか。そんなの、少しさみしい。こたえたい。あの甘く優しい声に。はい、と返事をしたい。この心地のよい気持ちを、そのまま、送り返したい。どうしてそれが叶わないのだろう。どうしてだろう。でも、やっぱりできない気もする。それが普通な気がしてくる。それなら、そういうあたりまえのことが、こんなにひどいことだなんて、たった今、わたしは気づいたのだ。おかしいからって、返さないことが、これほど、さみしくて、ひどくて、もったいないことだと、わたしはまた、新しい発見をした。だいはっけんだ。おとうさんに、きいてもらおう。あまくて、あたたかくて、じわりとして、きっとすてきだとわかってくれる。でも、さきに、あの人に、はなしたい。いそがしいおとうさんより、さきに、あの人に、おはなししたい。

 

 意識はだんだんと薄くなってゆく。あたたかい気持ちと、さみしい気持ちが、ぐるぐるにないまぜとなって、遠くのこだまのように、どんどん離れて行ってしまう。

 眠りに沈んでいく意識の中で、遥か上の水面から、もう一度その甘く低い声が響いた。それに応えることはもう叶わない、という事だけが分かっただけで、フィオナは何も抗えず、もっと深い眠りに落ちて行った。声だけが、深い水中にこだまする。

 

「フィオナ、眠っているのか?」

 

 

2017.05.29