場末の砂ぼこりのような違和感

  良いけど俺、既婚者だぜ?と笑って断るビジャックは好きだった。あの男に相手にされようなんていう身の程知らずの女が、隣でバッサリ切られていくのも、見ていて痛快だった。それは大抵、酒場で、しかも首都ではない遠征先の町々で、かつイアーゼが隣で飲んでいるときに限って何故か起こるのだった。

 騎士やプリーストならいざ知らずブラックスミスの男になんて目を付けるのだから、違いの分かる目利きを気取った冒険者なのだろうが、この男の気さくさと頼もしさを『ただの気さくさ』と『ただの頼もしさ』だとしか判断できないようならその女は大層ご立派な自称目利きだ。

 ビジャックの社交性は、防具やトラップではない、武器だ。彼は自分の望む物を他者から提示される形で受け取ることは決してない。それより先に自分で手を打つ。

 だから彼が「一応な、一応」と冗談めかして釘をさすのも、「愛妻家だよ、俺は」と惚気て見せるのも、結局のところ、すべて攻撃の手段なのだった。その証拠に、そんな時の彼の表情には照れなんていうものはなく、いつだってどこか自信に満ちている。相手は八つ裂きにされ、ビジャックの足元に屍となって倒れるしかない。彼は倒れゆく敵にとどめをさすような無粋な真似はしないが、屍を足ですら触らず跨いで歩いていくような不信心さはあった。

 弱者を顧みない。利用価値のないものに一切の情はない。世間では人情家で通っているこの男が、実際は面の皮が鉄のように厚く硬いだけだと、どの程度の仲の奴らなら気づいているのだろう。自信家で、傲慢で、自己中心的な男だ、ビジャックは。無能であれば、こんな性格の人間なんて放っておくだけで破綻し自滅するんだろうが。それに能力が付いて回るのだから、性質(たち)が悪い。

 女はやがて、攻略難易度の高さを悟って去っていく。手強いと分かってもなお、しがみ付きたいほどの麗しいビジュアルではない。顔の造形はそこそこ程度だ。ビジャックに寄り付く女はだいたいが『お買い得さ』を狙ってくるが、めくった値札の予想外な高さに素知らぬ顔をして帰っていくのがお決まりのパターンだった。

 

 その日も、いつもと同じ。モロクの場末の酒場で、飲んでいた時だった。ギルドメンバーは勢いよく飲んだのち早々に寝てしまって、ビジャックに寄ってきた女はものの二、三分の会話で消え、暗い店内でイアーゼはまた彼と二人きりでグラスを傾けなければならなくなった。

 遠征先では、こういうのが多かったように思う。

 正直、ビジャックにはもっとモテてほしかった。彼が女を足蹴にするのは愉快だったし、彼が女の相手をしている間は少なくともイアーゼは彼と二人きりの会話をしなくて済む。この男と酒を飲むのは嫌いじゃない、以心伝心のような会話だって楽しめないわけじゃない。だから他にあと誰か一人いてくれるだけでいいのだ。それは仲間内だろうが部外者の女だろうが、誰だって構わない。でも二人きりは駄目だ。

 夜、二人きりで酒を飲むと、テーブルの上にいつのまにか会話のチェス盤が置かれてしまう。いつもは味方陣営であるビジャックが、向かい側に腰かけて、白黒をはっきりさせようとしてくる。白黒をはっきり? いや、違う。勝ちを取りにくる。ビジャックには負ける気などないし、そんな展開の想定さえ必要ない。いつも完膚なきまでに叩きのめされるのはイアーゼのほうで、彼は彼の思うがまま自由自在に駒をうごかし、チェックメイトしたら席を立つ。遠征先のイアーゼの宿部屋は、いつも当たり前のようにビジャックと同室だった。あまりにも毎回毎回。まるでそう定められた世界の掟のようだった。部屋に帰って、シャワーを浴びて、ベッドに組み伏せられて―敗北したイアーゼにその後のことを選択する権利はない。

 

 イアーゼが唯一できる抵抗は、チェスを始めないこと。始めたチェスを中断すること。つまりは第三者の介入、それしかない。ビジャックに負かそうだなんて思わない、ようは勝たせなければいいのだ。

 

 モロクは夜の街。イアーゼが男装しているせいで一見は、男二人のテーブルだ。もっと女が来てもいい。でもその夜は、それ以上の女はこなかった。仕方ないのは分かっているが、イアーゼはたまらず息をつく。

「……モテないな」

 それを聞いて、ビジャックはちらりと視線を寄越した。それから浅く「どうして」と尋ねる。言葉の選択は悪くないが、良いだけにより一層、むかっ腹が立った。

「お前じゃない、私だ」

 別に、ビジャックでなくとも、イアーゼ側に介入されたって、二人はまぬがれる。ビジャックは楽しそうに目を細めた。

「じゃあ、尚更『どうして』だ」

「モロクでウィザードがうけると思うか?」

「なんだよ、妬いてるのか?」

 ビジャックは素っ気ない顔でそう尋ねたが、その口元には隠し切れない笑いが僅かに浮かんでいた。この野郎、とイアーゼは奥歯を噛むが、まだそれほどの有効打ではない。しかし、もうチェスは始まってしまっている。

「ありゃナンパじゃないよ、商売だ」

 ビジャックはグラスに口を付ける。その液体の傾きを眺めながらイアーゼは次の言葉を探していた。けれど、精神は半ば諦めかかってもいた。むなしい努力を数年続けていたせいで、イアーゼの心はほとんど折れていた。

「なら、よほど金を持ってないように見えるんだな」

「財布の紐が硬そうに見えるって、言ってもらえますかねぇ」

「お前じゃない、私だ」

 苦く言葉を吐いて、イアーゼはグラスの残りを煽った。今のは手としては良い一手だったと思うが、いくら技巧を凝らした上手い手を打とうが、急所に一撃を食らわせる強烈な手を打とうが、この盤上ではほとんど無意味だ。ポーンがクイーンみたいな動きをする男にとって、どんな人間のどんな一手を交わすのも、赤子の手をひねるようなものだろう。厳格なルールに守られたゲームと違って、現実は糞だ。

 煽りきったグラスが、ビジャックの手によって取り上げられる。

「飲みすぎだ」

「お前に飲酒量までコントロールされるいわれはない」

「身体に障るぞ」

「身体が冷え切るよりマシだ」

「なら」

 あっためてやろうか。と、ビジャックは最後まで言わなかったが、イアーゼは自分の失態と、敗北を理解した。

 数秒の無言が続いたのち、ビジャックが席を立つ。勘定は前払いだった。もうどうにでもなれ、とやけくそになりながら、イアーゼもガタリと音をたてて席を立つ。

 部屋に戻ろうと振り返るビジャックの横顔は、悪くない。

 会話をするのだって、酒を飲むのだって、楽しくないわけじゃない。

 ただ、拭い去りようのない違和感を、他の誰でもないこの男が取り合ってくれないから、毎回、納得のない敗北に、まるで屈するみたいに彼の後をついていくしかなかった。

 そういうことをしていた日だった。

 

 

2017.01.16