ある日の三つ目の講義

 『遠いかの地に夢を馳せることは知恵のひとつだが、それに囚われるのは愚かな行為だ。私たちはこの地に約束された恵みを受け取り、その責務を果たさなければならない。』

 

 読み上げた講師の声は明瞭だった。

 残念なのはその声の聡明さに見合うだけの知恵も意識も、この教室には存在しないことだけだった。

 

「それでは、我々が背負った罪とは、なんだろう」

 

「恵みを受け取ったことか? 恵みを受け取りたいと、欲をかいたことか? 与えられたものを受け取ることの何が悪いと、傲慢なところだろうか? こうは考えられないだろうか。我々の罪は、まだその責務を果たしていないことである」

「対価を払うまで、それは窃盗と変わらない。我々の罪は、責務を果たさなければと知り、まだそれを行わないことだ」

 

(泥棒かぁ……)

 

 教書を開いたまま、テオはその章の文字をぼんやりと眺める。『その発想はなかったな』と素直に腑に落ちるところが大半だが、『そんな考え方があるだろうか』という疑問が、掬い切れないコーン粒のように思考の鍋にへばりつく。

 第三読書会の教室は人数のわりにやけに広く、そしてその少ない生徒の中でも大胆な居眠りを漕ぐ者もちらほらいる有り様が、もはや日常と化している。聴講者の多い第一会や、必修単位の第二会とはまるで空気の違う怠惰さと、けれどその中にある静けさに、何か生活の中に潜む普遍的な平凡さを感じてしまう。

 『退屈な毎日』というラベルの張られた瓶があるとしたら、きっとこの教室の空気みたいなものを原料に、精製して煮沸して瓶詰めして商品とするに違いない。

 雑味のない、洗練された、平凡な毎日――果たしてそこに日常の味は残るのか、疑問だけれど仕方のない話だ。

 

 講師が黒板に『略奪』と書き始めた。

 

(またずいぶん飛んだ言葉だなぁ)

 

 熱心にそれを写し書く者、黒板ではなく外や夢の世界を向いている者、そのどちらにもなることが出来ず、テオはただ講師の筆致を眺めている。

 “s”の書き方に特徴のある字だ。それが最後、二文字続いて、チョークはその真下に置かれる。

 略奪、という単語でしかないその文字を眺めながら、テオは漠然と、いいや、違う、と思う。

 けれど、その何が違うのかまでは手が届かずに、その時はぼんやりと、その“s”の字を書くに至った講師の長い人生の経過みたいなものを、胡乱な思考で、巡らせていた。

 

 鐘が鳴るまでは、この部屋に閉じ込められる。そういう約束にサインした。

 甘くないジャムをなめ続けるみたいな意地汚い行為が、何故だか辞められない。むしろ、それを好んでさえいる。だから第一も第二も取ったのに、第三会の受講にチェックを入れた。きっと、第四会があったとしても、テオはそこにサインしてしまうだろう。

 読めば読むほどに理解が深まるだとか、あらゆる意見を踏まえてのひとつだとか、そういう理を否定するわけではないが、理由の本質はそこじゃない。

 

『あなたは、私じゃないものを愛してるわ』

 

 先週末に別れた彼女の言葉が、一番近いような気がする。

 確かに、自分には、愛しているものがある。きっとそれは彼女じゃなかった。でも、その中の一部に彼女は入っていた気もする。だから大きくは正解で、小さくは間違いだ。

 そこにはさっきと違って、強くノーを生む感情はない。

 

 講師の言葉はいつのまにか遠くになっている。

 教書に視線を落としても、そこに答えはない。

 

 もし、あの黒板の前でチョークを渡されたら、自分は何を書くだろう、と思った。

 あの文字が書かれる前の黒板に戻って、そこに言葉を書くとしたら。

 

 またいつもの下らない妄想だ、とテオは小さく息を吐く。それからノートに“s”を書いて、自分の字癖を確かめた。

 

 

2020.09.24.