まだ見たことがないあなたの

 ない、と叫ぶ大きな声が廊下から繰り返し聞こえた。
 宿屋の二階、昼下がりの静かな時間だったものだから、声はやけに響いていた。
 不思議に思いフィオナが廊下へと顔を出せば、声がするのはギルド仲間の部屋からのようだった。開いた扉の入口付近に立つシェインとカリシュの後ろ姿が見える。

 

「どうしたんですか?」
 フィオナがそっと歩み寄ると、シェインが困った顔で頬に手を当てて言う。
「ないんだってー」
 カリシュがちらりとこちらを振り返り、体の位置をずらした。フィオナは彼の体から顔だけを出して部屋の中をのぞく。中ではクロウが手あたり次第の荷物を床にぶちまけている最中だった。
「何を探してるんですか?」
 フィオナが見上げてそう尋ねると、視線をクロウにやっていたカリシュが、またちらりとこちらを見て、「ロザリオだ」と低い声で言った。

 

「ロザリオ」
 フィオナがカリシュの言葉を繰り返すと、シェインが首をかたむける。
「困ったよねぇ」
 午後から用事がある、と昨夜カリシュからは聞いていた。彼がその用事も果たさずに、わざわざここに立って部屋の中を覗いているなんていうことはないだろう、とフィオナは考える。
「教会の用事だったんですか?」
 カリシュを見れば、彼は言葉を発さず、首を一度だけ動かした。
「ロザリオがいるんです?」
「いるよ~そりゃ、教会だもん」
 シェインが答える。「そうなんですね」とフィオナはまた部屋の中へと視線を戻した。
 中ではクロウが既に諦めた様子で、靴を履いたままベッドで仰向けになっていた。

 

「失くした、死ぬわ」
「もう~、ぜったい失くしてないって、がんばって~! だって普段、つけてないんでしょ?」
「つけてねえけど、法衣に入れてんだよ」
「え~? なんでよ??」
「急に寄ったとき、無かったらめんどくせえだろ!」
「じゃあ落とした? 最後に見たのは?」
「普段みねえ~~~内ポケットなんて見てねえ~~触感でしか感じてね~~」
「じゃあ最後に内ポッケで感じたのは??」

 

 ベッドに横たわったままのクロウを眺めているあいだに、フィオナの頭には、どうしてカリシュがここで大人しく待っているのだろうか、という疑問が浮かんだ。教会の用事は、三人で行かなければならないのだろうか。そうでないと、彼がクロウやシェインに付き合っている理由がよく分からない。なんとなく、カリシュはそんなことをしないような気がする。フィオナには、カリシュのことがまだよくわからない。

 

「ロザリオって、いるんですか?」
 こそりと、耳打つようにカリシュに尋ねてみた。彼は黙ってフィオナを見たが、やがて「ああ」と小さくうなずいた。
「何に使うんですか?」
「……」
 カリシュは眉を寄せた。視線を左から右に動かして、またフィオナへと戻したのち、「入口で」と答える。
「カリシュさんも?」
 そうだ、とカリシュが答えて、フィオナは自分の好奇心が抑えられなくなる。
「持ってるんです? ロザリオ」
 ふと、カリシュの動きが止まった。組んだままの彼の腕に、フィオナは手を添える。
「それって、見せてもらっていいですか?」
「……」

 

 カリシュの顔を、フィオナは見上げる。銀色の髪の奥で、青い目が訝し気にこちらを見ていた。

 

「構わないが……」
 どうして、と言いたげにカリシュは言葉を止める。
「失礼でないなら、見てみたいなって」
 ほんの少しのわくわくした気持ちが、フィオナの胸の中でだんだんと大きくなる。カリシュが僅かに首を傾げながらも、右手を法衣の中にやった。そこに入っているんだ、とフィオナは胸あたりの布を見つめる。カリシュがそれを取り出しかけたとき、部屋の中のクロウが叫んだ。

 

「あああああ! ジェンの部屋だわ!!」

 

 ひときわ大きな声だったので、フィオナたちの視線はクロウに向く。

「ジェンの!? なんで!?」
「ジェンの部屋で転げまわった時に、なんか音したわ、そういや!」
「そんなんで落ちないでしょ、内ポッケのは!」
「うっせーよ! 服ぐちゃぐちゃで転げまわったら落ちんだよ!」

 

 クロウは飛び上がるようにベッドを離れ、入口のフィオナたちを押しのけて二つ離れた部屋にノックもせずに飛び込んでいった。
 部屋からはジェナードの驚いた声と、クロウが荷物をひっくり返す音が響いている。

 

「……」

 

 フィオナは驚いて止まった息をゆっくり戻して、カリシュのほうを見ると、彼はクロウの様子にあきれ返ったように、肩を落としてため息をついていた。
 手を見ると、それはまた、元の位置で組まれている。

 ロザリオ、とフィオナは思ったが、言葉に出すのはためらわれた。間もなく、「あったー!」とジェナードの部屋からクロウが出てきて、カリシュは彼らと教会に向かうことになってしまった。

 

「じゃあ、いってくるね~。お土産まっててね~」

 

 シェインがこちらに手を振りながら、二人の後を追う。手を振り返しつつ、フィオナは階段を下りていく三人の後ろ姿を見送った。
 結局、教会へ何の用事だったのか、分からないままだ。夜のうちに、聞けばよかった。

 

 振り続けた手を緩めたとき、フィオナは「ちょっと残念だったな」と思う。


(あと、ちょっとだった)


 離れていくカリシュの後ろ姿は、いつもこちらを振り返らない。

 彼のロザリオが、見たかった。

 

 

2019.10.14