微力(11)

 

 

 

7-1

 

 

 

 パリンと、ガラスの割れる音が夜の路地に鳴り響いた。グラスか窓か酒瓶か、何がどういう経緯で割れたのかは分からない。どこで割れたのかにも、さほど気にならない。その後に続く怒声や悲鳴も、この街の夜を体現する記号の一部でしかない。

 スルガは自分の宿に帰るための最短経路を直進していく。

 暗い路地裏は、相変わらずすえた匂いがした。足元も見えない夜に、建物の側を歩くことは賢明ではない。何が落ちているか分かったものではないからだ。

 通りの道が、人間生活のしわ寄せのような道具やゴミや吐き出されたもので汚れていくにつれて、周辺の宿の値段は下がっていくから暮らしやすくて便利だ。モロクみたいな街と違って、底辺が安定した首都の裏路地は、夜だって狂ったふりをしなくても、誰もスルガの行く道を遮ってはこなかった。

 

 以前、一度、飲み会の後ツイードに送ってもらったことがあったが、あの時は彼をこの辺りまで来させるのは気が引けて、大通り沿いまで回り道をしてしまった。今を思えばあんなことする必要はなかったし、ああいった行いがたぶん彼を苛つかせていたんだろうと思う。

 ツイードは他人を偏った目で見ないけれど、それゆえに自分へ先入観にも敏感な節がある。

 

 初めて彼と体を交えてから、数週間が経った。

 そのあいだに何度か、同じように彼と抱き合ったりする夜を過ごした。最高の酒よりも、極上の食事よりも、なにより甘美な体験だ。情事中に彼は例えようもなく魅惑的で、その芳醇な色気に毎回頭がくらくらするほど酔ってしまう。

 

 スルガが彼との逢瀬の約束を周囲の目に触れないところでするようになってからは、彼との関係は驚くほど滑らかに進むようになった。ツイードと自分の間にあった不自然な軋轢は、簡単な小石が原因だったようだ。

 ツイードからの希望というよりもスルガ自身が、これ以上恋人としてのツイードを周囲に発見されたくない気持ちが強くなったことが、すべての歯車を上手くかみ合わせたように思う。

 

 恋人と上手く関係を保てることが、こんなに気分よく生活を過ごせることに繋がっているなんて、今までの人生では知らなかった。

 こんなに愛しく思える恋人が居たことがない。

 そんな感情を自分が持てるという事実だって知らなかったし、そもそもどうして自分が人を好きになれたのか、スルガにはまだその時点のことすら疑問が残っている。たぶん、相手がツイードじゃなかったら、ここまでの経験には至らなかったんだろう。

 

 知れば知るほど、ツイードの人間性はスルガにとって新鮮だ。

 おそらく初めはただの一目惚れで、それは顔が好みだとか、声が好みだとか、そういった表面的なものへの好意だけだったはずなのに、ささいな関心から彼の生活を近くで見ているうちに、段々と彼から目が離せなくなった。自分がどうしてこれほどまでに、彼の生き方に魅了されているのか、スルガにはその根源がまったく分からない。こういった興味がなぜ性的関心に結びついているのかも。

 でもスルガは確かに、ツイードと友人ではなく、恋人になりたいと思っていた。おそらく最初から。この惹きつけられる感覚は、どうしたって恋愛のそれだった。

 

 たまたま彼と付き合えることになったからよかったものの、不可能だったら、自分はどうなってしまっていたんだろう。スルガには、もう、ツイードと付き合えない自分の人生が想像できずにいる。

 

(ラッキーだったよなぁ、俺)

 

 裏通りにひときわ大きい笑い声が響いた。限界を迎えた酔っ払いは、何故か歓喜の声に似た音を出す。なんだか今日は騒がしいな、と思いはしたが、さして気には留めずに、スルガはやっと到着した自分の宿をドアを開け、食堂に入っていった。

 

 

 

7-2

 

 今日はツイードが教会の用事で溜まり場に来ない日だった。だからなんとなく仕事終わりに飲まずに帰ってきたけれど、仲間たちの会合に顔を出せばよかった、と一人で食事を取りながらスルガは思う。

 自分の空腹の為だけに、自分で自分に食事を用意するのが何だか徒労のように感じられる。定宿の食堂でメニューを注文するだけのことなのに、なぜこんな面倒さが伴うようになってしまったんだろう。

 

 頼んだラザニアを淡々と口に運び、黙々と麦酒を飲み込んでいると、ジョッキは瞬時にカラになった。咽喉が渇いていたんだろうか。

 

 追加の酒を注文したタイミングで、スルガの隣の椅子がガタリと引かれた。

「よう、景気いいな」

 許可なく勝手に同席したのは、溜まり場の仲間の一人、アサシンのライオネルだった。

 無造作に伸ばされた薄紫色の髪もそのままに、装束を緩く着こなしたそのアサシンは、見かけ通りの雑さで、ドカっと椅子に腰かける。

「よう。今からメシ?」

「まあな、羽振りいいなら奢れよ」

「やだよ」

 テーブルの皿を少しよけて彼のスペースを作ってやりながらも、スルガがライオネルの無茶な要求をはっきり拒むと、彼はケケっと笑ってから、片手を上げて店員を呼びつける。

「キドニーパイと、ビール。黒な」

 

 久々にこのアサシンの姿を見た。今までどこに行っていたのかは知らないが、様子を見ると変わりもなく冒険者をやっているようだ。

「お前、スミが探してたよ」

「まだやってんのかあの女」

「そりゃ探すだろ、顔見せなくなったら」

 溜まり場の仲間たちは、彼らのことを恋人だと思っているが、それはスミからの見解で、この男の方からの認識ではそうじゃない。けれどそういうのも含めて、一つの恋愛関係のありようなのかな、とスルガは思っている。結局、どこまでも本人たち同士の話でしかないから。

「ケッ。くだらねえなぁ。やっぱアサシンでも駄目か。首都の女はゴミぞろいだ」

 

(そうかなぁ)

 

 何を、どこと比べて? そういう疑問がスルガの頭に浮かぶが、この男に聞いても回答は得られないだろう。

 

「アイツのせいで溜まり場にいけねえじゃねえか」

 まるで借金取りから逃げ回るようなライオネルの態度が、スルガには少し不可解だった。

「だったらちゃんと別れろよ」

「ハイ?」

 関係の解消を宣言するだけで、その煩わしさは簡単に消えるのでは、とスルガは一瞬考えたが、『いや、まあそんな簡単なことじゃないか』というようなことはすぐ理解できた。しかし言い訳は遅れ、ライオネルは片眉を上げたまま、疑念に満ちた視線を寄越す。

「お前までンなこと言ってんの? 茶番だろ、あんなの」

 いつものライオネルの言い分が始まってしまう。

「バカみたいに薄ら寒い、ごっこ遊びの子供だましだ。なにマジに取ってんだよ。お前だって分かんだろ。あっち側の言い分みてえなこと言ってんじゃねえ」

 料理の到着も待てずに、アサシンは煙草に火を付けた。大きく吐かれた煙のせいで、彼の感情まで霞んで見える。

「……そっか」

 

 ライオネルがこんな風に本音のようなものを吐露するのは、仲間内じゃ自分にだけだ。スルガはその自分にかけられた信頼の根拠が、ライオネルいわく『スラム育ち』というところにあるのが、いまいち腹に落ちていない。

「俺、よく分かんないけど」

「分かれよ、クソ馬鹿」

 確かにモロクの、ここよりは治安のよくない場所で育った。でも生まれはアマツだ。砂ぼこりまみれの風景も、松が植わった浜辺の風景も、どちらも明確に思い出せる。

 ライオネル同様、幼少期は両親が家にほぼ居ないような家庭環境だったけれど、自分は家の中のパンを盗って食べても、めったに殴られなかった。

 あれをスラムと呼ぶのかどうかも分からないし、あの経験が自分に何か特別なスキルを与えたのかどうかも分からない。

 そしてそういう育成環境が、『恋人関係はすべて茶番だ』と思うような精神性と、何の関係があるのかなんて、それこそまったく分からない。

 ライオネルが自分のことを仲間だとみなすその信頼感こそ、なにかそういった類いの別の幻想じゃなかろうかと思いはするものの、彼のそれを無闇に裏切りたくないという気持ちも働いて、スルガは上手く返事ができなかった。

 

「……嘘でも、別によくない?」

「ハ、騙せって?」

 ライオネルが、鼻で笑う。

「騙すっていうか、そんな風にも思わないだろ、たぶん」

 

 ライオネルの言っている言葉の意味やその価値観が、まったく理解できないわけでもないから、スルガはこの混乱を自分の内側に向けるしかなかった。

 スラム出身の自分と、アマツ出身の自分を、都合よく使い分けることが、なんだかできない。

 本当は簡単なことなのに。ライオネルの前では調子を合わせて世界の偽善を笑い、スミの前では不義理を非難し彼女の背を撫でる――そう、できるはずなのに、なぜ自分はそうしないんだろう。

 

「東通りのさ、ホットドッグ屋、あるじゃん」

「あ?」

 ライオネルは眉をしかめたものの「あるな」と返事をした。この男の、こういう所は好きだ。

「あそこさ、看板に『ミッドガルで1番ウマいホットドッグ!』って、書いてあんじゃん」

「……」

「あれってさ、嘘とか……思う?」

「何が言いたいんだテメェ」

 ライオネルの視線は鋭かった。

 スルガは自分の思考回路がいつのまにか、ライオネルとスミの関係に留まらず、もっと曖昧な、すべての人間関係の名称について感じていることへ、ふわふわと漂い流れていってしまったと気づいたが、もう話の収束のさせかたが分からずそれを続けて言うしかなかった。

「いや、なんつうか、ああいうのに、騙されたとか、そういうのないじゃないかなって」

「それとあの女の何が関係あんだよ。お前、相変わらず、なに言ってんのかサッパリ分かんねえな」

「え? 俺、今なに言ってんのか分かんないこと言ってる?」

「ぜんぜん分かんねえ」

「マジかぁ。俺、ヤバいな」

「ヤベえよ、テメェは、前からずっと」

 

 また、自分の中にあった何かの感情が、言葉にならないまま拡散していくのが分かる。でも、それをつかみ取る手段がスルガにはない。ずっとこういう意思疎通の困難さが、何故か自分の人生に付きまとっている。

 

 この後いつものようにライオネルから「腕は良いんだからシャンとしろよ」「クソボケだから貧乏くじ引かされんだよ」と説教をくらうのだろうし、その時の自分は「ああ」とか「うん」とかしか答えられないんだろう。この思考の停滞から、抜け出せる明確なビジョンが、スルガにはない。

 

(……ツードさんなら、分かってくれんのかな)

 

 

 

 

 <<  微力(10)   微力(12)>> ...?

 

 

微力(10)

 

 

 

6

 

 コンコン、とノックされたドアの音は、おそらく非常にささやかだった。

 けれど意識の覚醒まぎわだったスルガは、その音にガバリと飛び起きる。他人の気配だ。視線はほとんど無意識にいつものテーブルを探す。

 テーブル――がない、いつもの位置に、カタールがない。ナイフは? 咄嗟に枕の下へと手を差し込むが、柔らかな布以外の感触が無かった。ない。やばい。何が? どうしよう。どうして何もない? 昨日自分は――

 

(…………ちがう、ここ、俺んちじゃない)

 

 混乱する思考のまま、スルガが辺りを改めて見渡すと、そこは陽の光がさし込む見覚えのない部屋だった。

 昨日は夜に来たせいで、室内の雰囲気ががらりと変わって見える。

 ツイードの部屋だ。

 

 コンコン、と再び、ノックの音が響く。

 

「あの、ツードさん」

 隣で眠ったままのプリーストへ、スルガはおそるおそる声をかける。

「ひと、来てます」

 反応がない。

 慌ててスルガが肩を揺すると、渋々といった具合にツイードは声を出した。

「……ン」

 けれどそれはほとんど唸り声のような音でしかなく、ツイードの眉間にはみるみる皺が寄り、彼は布団を手繰り寄せて壁側を向いてしまった。

「え、ちょ、ツードさん?」

「……」

「え!? ツードさん?」

 

 三度目のノックの音がして、スルガは仕方なくベッドを下りた。彼の部屋の扉を、許可なく開けることに抵抗はあるものの、部屋主がああでは他にどうしようもない。

 ドアの向こうにいたのは、ブラックスミスのビジャックだった。

 

「早い時間にごめん。俺、今日、溜まり場に寄らないからさ」

 頼まれていた物だ、とビジャックはスルガに荷物を手渡した。彼はツイードの部屋から出て来たのが本人ではなくスルガだったことに、まったく何の驚きも見せなかったし、そのことについて話題にすらしなかった。

 スルガが受け取った紙の包みは、大きさの割にずしりと重い。中身はおそらく本だろう。

「それから、こっちは転売たのまれてたやつ。利益の六割」

「あ、はい」

「またよろしくどうぞ」

 小さな布袋を受け取って、スルガがビジャックと顔を合わせると、

「……って、言っといて」

 と、彼は初めて、ツイードに向けた言葉ではなく、スルガに向けてそう言った。

 

「お、起こさなくても?」

「いいよ、どうせアイツ起きないだろ」

 あ、そうなんだ、とスルガは思ったが、同時に「そんなことあるか?」という気もした。

 

「居てくれて助かった」

 ビジャックはそうスルガに礼を告げ、家主の顏も見ずに帰って行ってしまった。

 ぽつんと、玄関にスルガは残される。

 

 立ちすくんでいても仕方ない。預かった荷物を、とりあえずテーブルの上に置き、スルガはベッドに戻って腰を下ろした。

 布団の膨らみからはツイードのきれいな金髪が覗き、それが陽の光を受けてちらちらと輝いている。

 

――スルガさん……っ

「……!」

 突然、脳裏に昨夜のツイードがよぎる。

 スルガの血流は興奮を取り戻したように、バクバクと胸を鳴らしていた。

 彼の目にかかるあのきれいな金色の髪。少し前までは遠くで眺めているだけだった。

 

(……俺、昨日、この人と寝たんだな…………)

 

 改めて考えると、とんでもない事実だ。そんなことが可能になった現状が、なんだか信じられない。望んで、避けられて、渇望して、拒絶され――ていた事が、けっきょく昨夜、できてしまった。現実に実感がない。

 足元がふわふわしている。記憶もなんだか、あやふやだ。

(でも、めちゃくちゃエロかった。あんま覚えてないけど、すっげーエロかった)

 

 昨夜の記憶をさぐればさぐるほど、段々と冷静さが蓄積されて、恥ずかしさが増していった。

(俺、マジでツードさんとヤったの? っていうかさっき、ビジャックさん来たけど、あれ、思いっきりそういう感じって、分かっちゃった、よな……?)

 あのブラックスミスは自分の見聞きしたことを無闇やたらと言いふらすような男じゃない。いや、言いふらされたって、別にいいはずだ。何もやましいことはないんだし。そう考えなおしはしたものの、スルガの頭の片隅には、なにかもやもやした感情が残る。

 

(でも、ツードさんのそういうとこ、知られんのが、なんかやだな)

 ツイードが、誰かと寝てるなんて、そんなこと誰にも知られたくない。

 

 スルガだって、まさかツイードが周囲の人間から『今まで一度も性体験がない』だとか、絶対そんな馬鹿なこと思われていないということは知っている。そう、ツイードがセックスしていることなんて、みんな知っているのは分かっている。

(みんな? みんなって誰)

 知らないけど。知らないけど、知っているに違いない。面白くない気分だ。

 自分以外、世界中の誰も、ツイードの色気に、気づかないで欲しい。誰も妄想しないでほしい。どんな風にキスするのか、だとか、どんな顔で服を脱ぐのか、だとか。あんな煽情的な彼の姿なんて。自分以外、誰も。

 

(世界で初めて俺が発見した……ってことに、できないかな、今から。なんか、機密事項とかに、なったりしないかな……)

 

 馬鹿げた考えだ。隣で眠ったままの彼に知られたら、きっと笑われる。

 スルガは、きれいな金髪の後ろ姿を眺めながら、世界一無駄なことを考えている。その金色の髪は、頭の頂点から、美しく重力に沿って流れていき、枕で一度、折れ曲がり、また流れてゆく。

 この光景ですら、情事の後の特権なのではないかと思えるスルガの思考回路は、いつまで経っても冷静さを取り戻せない。

 

 誰にも知られないのが無理なことぐらい、自分が一番よく分かっている。

 

(だってこの人――なんかもう、オーラがすでにエロいもんな……)

 

 ツイードの起きる気配はない。

 なんだか悶々とした感情のまま、スルガは陽の当たる彼の部屋に一人、取り残された気分だった。

 

 

 

 

 

 <<  微力(9)   微力(11)>>

 

 

軌道

 

 

珍さんのさ、カタールに乗ったことある?
あれ最高なのよ。
下から切り込まれたときに、靴先をちょっと浮かしてさ。飛び上がる瞬間に、刃先に合わせんのよ。
したら、軌道に合わせて脚がグンって上がんの。間違ったら脛から先が吹っ飛ぶけどね。
うまく靴と噛んだら、あの人らの斬撃の勢いで自分が空にぶっ飛べんのね。
最高に気持ちいいよ、あれ。
回転かかるから、宙返りできるしね。
面白いから、一回、ギルドの奴に頼んでやってもらったことあんだけどさ。
逆に、戦略にも使えそうじゃん、影葱が飛んだら。ウケるじゃん。
でも駄目だったわ。全然ちがった。飛ばないし、そもそもタイミング合わねえし。
ありゃ、なんてんだろ、勢いかな。
俺、戦闘中には、アレ失敗したことねえのよ。
「乗れんじゃね?」って思って初めてやったときから、今までずっと、やったときは乗れてたんだよ。
なんだろね。
殺す気で切りかかって貰わないと駄目なんだな、やっぱ。
一致しないんだよ。間合いも、角度も、振りあげる強さとかもさ。
殺すタイミングでしか、合わねえのよ。
中途半端に刃物が向かってきても、危ねえの逆に。使い方知ってる奴が、知ってる方向に、全力でやってくんなきゃさ。
手伝ってもらったギルドの珍も、腕は間違いないし、力もあるほうだし、なによりさー、ちゃんと俺のこと嫌いな奴えらんだはずなんだけどなー。
何が足んなかったんだろ。
気合い?
俺、思うんだけど、たぶん、あんたなら乗れる気がすんだよな。
あんたなら、俺が乗れる切り方、できると思うんだわ。
ためらいなく切りかかってくれそう。って、ギルドの奴とやって失敗したとき思ったんだよ。
ああ、コイツはあんたじゃねえもんなって。
あんたはちゃんと、俺のことを殺そうとしてくれるもんな。
そうじゃねえと、噛み合わねえのよ、俺ら。
だから、今日もちゃんと、ぶっ飛べたんじゃん?
聞いてる?
なあ、あんた、なんで俺の話全部スルーしながら作業できんの?

 

 

230321

夢の中の彼


 時々、まだ、どうしようもなく兄の夢を見る。

 繰り返すせいで、現実でもないのに記憶の一部になってしまった夢だ。「またあの夢だ」と夢の中でも分かる。

 分かるのに、どうにもできない。

 その無力さが、幼い頃の感覚の一部に、妙にリンクして、だから不思議な納得感がある。理屈も何も通っていないのに、すとんと腑に落ちる感覚だ。

 

 夢の中の兄は、いつも暴言を吐く。

 自分に向かって真っ直ぐに。正面から、目も逸らさず、はっきりとした発音で、自分に罵詈雑言を浴びせる。冷静に、淡々と。まるで何かの作業のように。

 同じく、作業であるかのように、自分はそれを黙々と聞いている。お互い立ったまま、或いは自分だけが座ったまま。向かい合って、自分を静かに罵り続ける兄の姿を、じっとみている。

 

 本当は、兄がこんなことを言うわけがないと分かっている自分がいる。だからこれは夢だ。じっとその顔を見つめすぎて、だんだんと兄の顔のつくりが分からなくなってくる。彼はこんな顔をしていただろうか。こんなことを兄が現実で言っているところを聞いたことがない。なのに、確かに目の前に居るのは兄であると解かる。

 

 兄の言葉は止まらない。

 自分は止める手段を知らない。止めることを放棄している自分がいる。聞いたこともないような酷い暴言なのに、自分でも驚くほど動揺していない。真っ直ぐに向けられる悪意を、ただ真っ直ぐに受け止めている。

 『こんなに長く兄が自分に向かって何かを言うことも久しく無かった』とか、『兄の声はそういえばこんな風だった』とか、頭の中では、どこか俯瞰した感情が途切れ途切れに思い浮かんでは消える。浴びせられる暴言の真っ最中に、どこか他人事のようにそう思う。

 

 兄も兄で、怒っているようには見えない。その表情は至って普段通りで、けれど口だけはよくここまで次から次に出てくるものだと思えるほどの暴言を吐く。

 

 ここまで言われる原因が、分からない。

 こんな労力を費してまでわざわざ頭を使い、声に出すのだから、余程のことなのだろう。あの無気力な兄が、ここまでするのだ。けれど、自分には原因が思いつかない。兄が何をそこまで執着しているのか、分からない。

 これが悪意であるのかすら、真の意味では判断できない。

 ただ延々と吐き出され続ける言葉の数々を真正面で浴び続けるばかりだ。それを酷く客観的に、受け止める。

 

 悪かったと、思う気持ちがある。

 ここまで言わせるほどに、兄をかきたてたのだから。

 けれど、もっと他にやりかたがあるだろうに、と呆れる気持ちもある。

 口汚く罵られるだけでは、一体何がいけなかったのか根本的なところが分からない。だからそれを改めようがない。ここには、なにか問題が確かにあるのに、それを解決する方法がない。ただ、受け止めるしか。この不自然に平坦な暴言を吐き続ける兄の目の前で、じっとしているしか、手段が無い。

 

 そのうち、『もっと怒ればいいのに』という気持ちまで沸きあがってくる。

 こんなに長い時間をかけて一言一言を淡々と発音するより、激怒して唾を飛ばしながら、大声で一言、怒鳴りつければいい。そうしてくれたら、自分は困り果てて泣きついて許しを乞おう。そんな、起こることもない事柄への対策をぼんやり考える。

 

 けれどもちろん、兄は顔色一つ変えない。

 

 言ってくれればいいのに。

 怒りたければ怒ればいい。悔しいのなら泣けばいい。八つ当たりだって構わない。

 でなければ自分は、いつまでも、黙ったまま。

 兄の正面で、何もできないまま。

 冷たく抑揚の無い声で、あらゆる罵詈雑言を聞かされるまま。

 目の前で、じっと、兄を見つめることしか出来ない。

 

 繰り返す、悪夢だ。

 なにも現実ではないのに、なにかが酷く現実に似ている。どうしようもなく、その夢を見ている。何年も。繰り返し。

 

 兄とはもう、何年も会っていないのに。

 

 

2023.02.03改

 

夏が来る

f:id:kasuri0619:20210508004539j:plain

 


 

 紙袋と引き換えにコインを払ったジェンが、片手で釣銭を断ったのが見えた。
 お、と思ったけど、何に対してそう思ったのかちゃんと言葉にはならなかった。
 なにもお手柄ってわけじゃない。3,999ゼニーなんて値札が付いた店で4枚払って、律義に1ゼニー受け取ってくる前のジェンのほうが間抜けだった。(何に使うんだよ1ゼニーコインなんて。募金か?)
 でもそういう馬鹿正直なところが確かにジェンにはあって、俺はほんのちょっと前まで、いつもそれを笑ったりイラついたりしてたように思う。完全に『おのぼりさん』って感じでプロンテラの街に飲まれてたジェンが、店で普通に買い物をしている光景は、「お」以外の言葉にならない。

 

「食べますか」
 帰ってきたジェンが、オニオンリングをひとつだけ俺に向けてくる。見るからに熱そうだったから、手に持たずにそのままかぶりついた。ずるっと中のオニオンだけが衣から抜け出て、ジェンの手にはCの形になった抜け殻だけが残った。
「あっつ、揚げたてじゃん」
「オマケで貰って」
「皮食っていーよ」
 ありがとうございます、とジェンが言った。自分が貰ったやつなのに。それから「あついですね」と食べる前に呟いた。
「だから、揚げたてって言ってんじゃん」
「いや、日差しが」
「はあ?」
 その視線につられて空を見上げる。
 確かに今日は暑かった。『暖かい』の限度を超えた太陽が空にあって、久しぶりに汗ってものの存在を思いだしたぐらいだ。強い日差しのわりに、風だけが冷たくて、素肌と法衣の間がひやっとする。そういう日だった。


「外で食うのやめっか?」
「え?」
「どこでくう? 屋根あって静かでだーれもいなくて座れるとこ。……。教会?」
「……大聖堂内で、飲食は…」
「冗談に決まってんだろ、頼まれたって行きたくねえわ」
 ジェンの顔がみるからにほっとしてて面白い。
「木陰のベンチ探しますか」
「いーじゃん、地べたで」
「たぶん、噴水広場の西側は影ですよ」
「へえー」
 なんで分かんの?と思うけど俺は聞かない。ジェンが言うならたぶん影だ。俺は知らんけど。二十年以上プロンテラに住んでるのに。うるさい、暑かったらすぐに入れる涼しい店はたくさん知ってるんで。ってか、汗かくのだって風物詩なんで。
 ゲフェンに住むやつの多くは、暑さを野蛮だと思っている。

 

「結局、いいパン屋は見つからずじまいですね」
「え、お前パン屋探してたの?」
「クロウさんが、探してるって……」
「近所のいいパン屋は軒並みつぶれたから、もうラックでいいかって話じゃん」
 常宿の名を出すと、ジェンは「そうだったのか」みたいな顔をして俺を見ていた。
「だから最近、昼飯ずっと屋台で買ってたん?」
「夏までに、良い店見つけないと、外で食べるの暑くなってくると思って……」
「店で食えばいいじゃん」
「そうですか…」

 

 コイツの中では、このままパン屋が見つからなかったら、夏は昼飯難民になっちまう計算だったのか。意味が分からないけど、馬鹿でかわいい。
 確かに近所のいきつけのパン屋はつぶれまくったけど、首都にはまだ溢れるほど店がある。
 暑くなってくるとそこら一帯の店が全部打ち水する通りもあるし、堀近くには水路が川辺みたいになった半地下のカフェバーもある。冬は寒くて行ってなかったけど。そっか、まだコイツと行ったことなかったな。

 

 暑くなっても俺と二人で昼飯を食うプランが、ジェンの中に立ってることが、なんだかうれしい。

 もうすぐ夏が来る。
 ジェンと二人で過ごす、初めての夏だ。

 

「いつまで持ってんだよ、はやく食えよ、そのC」
「……え? C?」

 


2021.05.07

恋愛相談

「でも俺は基本的に、ヤったもん勝ちかなって思うよ」

 紫煙と共に、プリースト、ツイードがそう吐き出した。それを隣で聞いていた彼の恋人のアサシン、スルガが、まるで言い訳のように飛び上がって否定する。

「いや! 慎重に行こうよ、そこはさ。好きな子でしょ? 大切にしてこ?」

  彼らは頼れるギルドの先輩二人だ。簡単な状況説明と共に相談をしただけで、この二人はいつも真剣にまっとうで的確な助言をくれる。たとえそれが恋愛相談だとしても。いくら突拍子もない内容(シャルが最近、プロンテラの露店通りで、雷にでも撃たれた気になるほど好みの女性に出会った、もう彼女の為に人生捨ててもいいが、散々のアプローチでデートにこぎつけた、この後どうすればいいか、という話)でも。

 

「つってもご交際なさってるワケじゃないんだしさ。そこまで手順踏む必要ある?」

「ご交際なさるかもしんないだろ! 将来的に!」

「このプロンテラで? 冒険者が?」

「う、まあ」

「そんな物語みたいなことうじうじ言ってるまに、隣から別の男にかっさらわれたら、それこそどうすんの」

「いやぁ……まあ」

「むこうがどういう主義主張かも分かんないのに、お付き合いしたい人前提みたいな感じでいくの、俺はどーかと思うけど」

「でも……でもさぁ、好きな子できたら、初めぐらい物語的王道でいいと思うよ、俺は……」

「リサーチ前の段階でー…? 面識ナシってったら、それってまあ、つまりナンパだろ? お前は逆ナンに誠実さ求めんの、俺なら刺激だな」

「運命的なナントカに、憧れる系だったら、…もしそうだったら、逆効果じゃん」

「はああ…?? なあ、シャル、お前自身どう思う? こんな腑抜けアサシンの夢フィルターがかかった意見、まともにきく気になる?」

 

 相談した手前、最後まで意見を聞こうと黙っていたシャルは、話を振られてようやく、堪えていた笑いを噴き出した。

「ふはは」

 ツイードが不可解そうに首をかしげるものだから、シャルは一度「いや」と手を振ってから、言葉をつけたす。

「でもツードさんには、スルガさんのアタック、効いたんでしょ?」

 ツイードは、煙草を銜えたまま、非常に苦い笑みを片頬だけに浮かべた。

「……お前は、やなとこ付いてくるね、相変わらず」

「いや、いいこと言ったよ、シャルは今」

 スルガは感心しながらウンウンと頷いて、腕を組む。満足げな恋人をよそに、ツイードは苦々しい顔を崩しもしないで、それから半分以上を諦めることにまるで手馴れたように、喫煙の動作を再開させた。

「ねえ、ツードさんはスルガさんの何が良かったの」

「は。その質問、もう百回は聞かれたよ」

 トン、と灰皿に灰を落としてから、ツイードは視線をテーブルに置いたまま、事も無げに言った。

「カラダ」

「ありえる? この人、いっつもこう答えるんだよ? 酷くね?」

「いやぁ」

 シャルはまた、快活な笑みでそれに返す。自分のギルドの先輩方は、大変愉快で参考になるのだからありがたい。

「俺もそうだから、やっぱツードさん派かな?」

 

 

2016.05.19

アイドルのツイードさんと、ガチ担のスルガさん

※現パロ

ツイード:アイドル

スルガ:強火担

 

 

 

 

「今日、休みですよ」
 ツイードが声をかけると、店の入り口に立っていた男、スルガが背後に振り返った。彼はこちらの姿を見たとたんに面白いぐらい目をまんまるにしてパチパチさせた後、「あ、あ…」と言葉にもならない声を出す。
「火曜でしょ」
 ツイードはポケットから鍵を取り出して、店のドアを開けるためにしゃがみ込んだ。隣で棒立ちしたままのスルガは、こちらの動きを眺めたままあわあわしている様子だった。
 どうしてここにいるんですか、とか、今日はお仕事お休みですか、とか、何か適当な世間話でもふればいいのだろうが、彼相手に一体どんな話題が適切なのか正解がわからないまま、ツイードは無心に解錠してしまう。
 定休日に忘れ物を取りに来ただけだったのに。

 

 ここはツイードが働く喫茶店で、彼は常連の客だ。
 去年までは、それだけのはずだった。
 それが、半年ほど前にツイードがアイドルの前座でステージに出だしてから、この常連客とはおかしな関係になってしまっていて、最近ツイードは彼の扱いに明確な指針を打ち出せていない。

 

「もしかして、スルガさんも何か忘れ物ですか」
「え?」
「店に」
「…え? いえ」
「あ、そーですか。まあ、俺はそうなんですけど」
「あ、忘れ物だったんですね」
「そうなんですよ。取りに来るか迷ったんですけど。別にこのあたりで買い物もないし」

 

 夢と希望に溢れる電気街だが、ツイードはアイテムをコレクションする趣味がない。電子書籍に切り替えてからは、ゲームの類いも全部ダウンロード型に統一して、本棚を処分した。長年、自分の庭みたいに歩いてきた秋葉原も、物欲がない状態で眺めると、遊び終わったおもちゃ箱みたいだった。

 

 開け終わった鍵をポケットにしまいながら、ツイードは立ち上がって、ちらっと後ろに目をやった。
 会場での訳の分からない格好(鉢巻きに法被、両手にうちわ)ではなく、平日のスルガはユニクロの広告みたいな服を着ている。今日だって、白のティーシャツにブルーのジーンズというシンプルな姿だ。細身すぎない体格だから、簡素な服が質素にならない。何かスポーツでもしているんだろうか、格好いい、と、以前までは思っていた。

 

「今日はステージもないですよ」
「あ、っと、……わかって…ます」
「もう、なんです、最近。やめてくださいよ、俺の前で緊張するの」
「や、すみません。…ですよね。わかってるんですけど、あの、一応、担当なんで」
「またぁ。マジのアイドルみたいじゃないですか」
「いや、ツードさん、マジのアイドルですよ」
「コスプレですよ、あんなの」

 

 それは、経緯を話すとあまりにも長くなる。
 何年も勤めている喫茶店のビルの、三階にメイド喫茶ができた。それがきっかけでオーナーがそちらと仲良くなり、普通の純喫茶だったこの店を週末だけ執事喫茶にすると言い出した。
 そんなことを言われても務めているのはツイードともう一人の友人だけだったが、仕事の制服が変わるだけで他に何か業務が増えるわけではないからという説得に負け、週末だけウェイターに毛の生えたような執事?の格好をするようになった。もともとこの街に過ごす者の一人として界隈の傾向に抵抗はなかったが、率先して衣装を着る趣味はなかったのに、もう今では仕事用の服を選ぶのが面倒で平日もその服を着ている。ベストにリボンタイに黒いエプロンなので、これじゃあバトラーというよりはボーイだろう、とは思っているが、深くは突っ込んでいない。
 そしてときどき、その制服で、隣ビル地下のステージで、地下アイドルの前座をしている。これも話せば長いが、簡単にまとめるとこうだ。
 メイド喫茶の店員たちが地下アイドルを始めると言い出して、その舞台の背景で執事の格好で立つだけのバイトを頼まれた。給料もいいので引き受けて、本当に立っているだけなのもなんだったので客の誘導や受付を手伝った。イベントは無事成功し、打ち上げにカラオケに行って、次の週末には何故かツイードもステージで歌うことになっていた。
 やはり給料がいいので引き受けたが、観客が面白がるのをやめたらすぐになくなる仕事のはずだった。
 そして気づいたらほとんど毎週、ステージに立っている現在である。
 メインのアイドルはメイドたちで、自分たちはイベント時間が切り替わる間の前座、にぎやかし兼声出し誘導だ。いつのまにか専用枠が設けられることも増えたが、どんなに譲ってもやはりアイドルではない。

 

 スルガは、そんな訳の分からない展開になる前からの、喫茶店の常連客だった。
 今度やるんで来てくださいね、と声をかけたことはあったが、特にアイドルのファンをやっていたわけでもなさそうな、むしろどちらかというと何故この街に入り浸っているのかが分からない風体の男だった。アニメや漫画にそれほど興味があるようでもない。常連客達と一緒にやったモンハンでは、強かった。連れの男に、彼はとてつもなくFPSが強いのだと聞いたことはあるが、見たことはない。
 オタク街の硬派な青年。
 そう思っていたスルガが、今ではあの地下の客席で、ツイードの名前が蛍光色で書かれた鉢巻きを巻いて法被を羽織っている。ツイードには意味が分からない。
 初めは全力のネタなのかと思った。

 二回目は、そういう滑り芸なのかと思った。

 三回目にして、『あ、この人、変な人なんだな』と理解した。

 

「昼飯食いました?」
 ツイードが尋ねるとスルガが「え、いや」と答える。ドアを開けてから「何か食います?」と聞けば、スルガは「でも、店休みでしょう?」と聞き返してきた。
「まあ、休みですけど。ちょっとぐらい開けてもいいんじゃないですか」
「いや、ツードさんの休みの日なんで、それは」
「はあ」
 緩い職場だから休日も勤務日も大した差はないが、相手がそういうのだから無理強いする気も起きずに、ツイードは店内に入る。
 カウンター裏に置いたままになっていた、自分のワイヤレスイヤホンを手に取り、すぐに戻ってまたドアを施錠するために腰を下ろした。
 
「スルガさん、なんでここにいるんですか」
「……やぁ、理由はないんですけど……日課というか」
「日課」
「聖地巡礼というか」
「いや、それはないでしょ」
「じゃあ、日課で」
「ようは、暇なんですね」
「まあ、はい」
「じゃあ、飯でも食いにいきます?」

 

 ツイードは鍵をポケットにしまいながら、当然の流れとして食事に誘った。けれどスルガは、えっと硬直して、「いやいや」とそれを断ってきた。
「休日に、二人は、ちょっと」
「は? なんで」
「界隈の、…マナー的に」
「……本気で言ってます?? 俺、ただの喫茶店の店員ですよ。ってか、前はけっこう行ってませんでした?」
 二人きりではなかったが、ゲームの数合わせでファミレスに行ったりしたことは何度もある。
「今更?」
「……でも、いま、俺……担当なんで」
「わっかんないなぁ…」


 ツイードはスルガを知れば知るほど、彼のことが理解できない。

 たぶん、店の客として初めて会った日が一番、彼のことをすんなり理解できていた。あの日もスルガはシャツにジーンズで、強ゲーマーと言われればまあなるほどと思える感じだったから。

 

「じゃあ、もうクレーンの景品とか取ってくんないんですか」
「え」
「欲しいのあったら、スルガさんに頼んでたのに」
「…」
「今二人で行くと、デートになるんです?」
「デートッ!?!?」

 

 スルガが飛び上がって否定する。ツイードは眉を寄せて腕を組んだ。
「だって、マナー的にって言うから」
「いや、でもデートって言わないんじゃあ…」
「言わないと思いますよ、俺も。デートじゃないしなぁ」
「…はい」
「けど、それだったら、別にいいでしょ。俺と飯いっても」
 デートじゃないんだから。
 スルガが、数学のテストの難題でも見たかのような顔で、首をかしげる。
「ん? んん…?」
「っていうかですね。俺の担当とかいってんの、マジでスルガさんだけなんで、界隈もなけりゃ、マナーもルールもないっすよ」
「いやぁ、それはこれから増えると思うんで」
「気が狂ってんのか、目が狂ってんのか、どっちだ?」
「でも人目があるところはちょっと…」
「はあ」
「この辺りの店も、ちょっと…」

 

 ツイードはだんだん面倒臭くなってくる。
 別にこの人とどうしても食事に行きたかったわけでもない。
 しかし『もういいか』という気持ちと同じ程度か、ともするとそれ以上に『どうにかして折れさせたい』という気持ちが、自分の中にはある。なぜだろう。スルガを見ていると、イライラするのとも、じれったいのとも、少しずつ違うまどろっこしい感情が、どんどん腹の底に溜まっていっている気がする。

 

「じゃあ、スルガさんの条件満たす店にしましょうよ」
 ツイードはスマホで時間を確認してから、頭に思い浮かんだ店のいくつかを検索した。
「え?」
「ここから離れてて、人通りが少なくて、誰にも見られない個室で。そういう店ならいいんでしょ?」

 

 スルガの表情がまた、数学の問題を解き始めた。時間を待たずにツイードは今から空いている店を見つけて、歩き出す。

 

「ありましたよ、ほら、行きますよ」
「え? いや、だから二人は…」
「えー? じゃあ別々に店に入って、中で落ち合います?」
「は?」
「なんかそっちのほうが、いやらしいなぁ」
「ええ!?」

 

 ステージから、スルガにファンサをしたことはない。というか、なるべく見ないようにしている。痛いからでも滑っているからでも、迷惑だからでもない。
 たぶんツイードにとっての彼は、舞台上からじゃなくて、路上の隣から見ていたい対象なんだろう。

 

「どうせなら、WI-FI通っててゲームできるところもいいですね、久しぶりに」
「え、でも、アキバ以外だと、飲食店ではそういうの厳しいですよ」
「はあ。なるほど。もしかしてラブホとか誘ってます?」
「え!?」
「スルガさんの、えっち」
「え!?!?  この会話、なんなんです!? さっきから、意味が分かんないんですけど!?」
「……(俺もだよ。止めろよ)」
 

 

 

2021.03.02